The Machine Stops by E. M. Forster
想像してみてほしい。そこは小さな部屋で、形は蜂の巣のセルのような六角形。窓も灯火も無いが、ぼんやりとした間接照明で満たされている。換気口のようなものも見えないが空気は澄んでいる。楽器の類も置いていないが、それにも関わらず“瞑想の時間”になると室内は心地の良い音楽で満たされた。部屋の真ん中には肘掛け椅子が一脚あり、その側には読書机がある。その二つが家具の全てである。
肘掛け椅子には柔らかくモコモコした布に包まれた生体が一つ鎮座している――人間の女性だ。身長はおおよそ五フィートで、キノコのような青白い顔をしている。この部屋とその中にある全ては彼女のために設えられたものだった。
電気ベルが鳴った。
彼女はスイッチに触って音楽を止めた。
「誰なのか確かめないと」そう思って動力椅子を動かした。この椅子も音楽と同様、機械仕掛けになっており、ベルの鳴り響いている部屋の反対側へと主人を運んだ。
「どなた?」と彼女は話しかけた。すでに何度も音楽を中断されていたため、その声は苛立っていた。彼女は数千の人間を知っており、ある意味では人間関係がとてつもなく発達していた。
送受話器から流れてきた声を聞くと、彼女は青白い顔を和らげて言った。「いいでしょう。丸々五分、“
“絶縁”ノブをひねると他の誰も彼女と通話できなくなった。続いて照明制御器に触れると小部屋は暗闇に沈んだ。「さあ早く!」と彼女は送受話器に話しかけた。その声は再び苛立ちを帯び始めていた。「時間を無駄にしないで、クーノ」
だが彼女が両手で持った円形の
彼の厳粛な表情がわずかに緩んだ。
「あなたはのろのろするのを楽しんでいるようね」
「ぼくは何度も映話をかけたんだよ、お母さん。でもいつも話中か“絶縁”中だった。折り入って話があったのに」
「何の用事なの? 坊や。早く言いなさい。なぜ気送郵便を使わなかったの?」
「この話は口で言ったほうが良いと思ったんだ。だから――」
「だから?」
「会いに来てほしいんだ」
ヴァシュティは青く光る映像盤の中の息子の顔をまじまじと見つめた。
「だって、いま会ってるじゃないの!」と彼女は叫んだ。「それ以上の何が必要なの?」
「“
「お黙り!」と母親は言葉にしがたいショックを受けながら叫んだ。「“機械”に対して不敬なことを言うもんじゃありません」
「なぜ? 何がいけないの?」
「それが当たり前だからよ。そんなことをする者はいないわ」
「お母さんの話しぶりは、まるで神が“機械”を作ったと信じてるみたいだ」と映話相手が声を荒げた。「きっとあなたは困ったときは“機械”に祈るんだろうね? “機械”を作ったのは人間だってことを忘れちゃいけない――偉大な人たちであることは認めるけど、それでもなお人間なんだ。“機械”がすごいことは認めるけど、全知全能ではないよ。今ぼくは映像盤でお母さんのような映像を見れているけど、本当に会っているわけじゃない。お母さんの声のような音声を聞けているけど本当の声を聞いているわけじゃない。だから会いに来てほしいんだ。そうしてくれれば、本当に顔を合わせて本当の望みを話すよ」
訪問するような時間を取るのは難しいと彼女は答えた。
「飛行船で二日しか掛からないよ」
「飛行船は嫌いなの」
「どうして?」
「茶色い地表も海も嫌い。暗くなったら星が見えるのも嫌い。飛行船の中じゃ何の“アイディア”も思い浮かばないし、何もできない」
「そうとも限らないんじゃないの?」と息子が口を挟んだ。「四つの明るい星が長方形に並んでいて、その中心近くに三つの星、その下にも三つの星がぶら下がっているのを知ってる?」
「知らないわ。星なんて嫌いよ。そんなものが何の“アイディア”を与えてくれるの? 教えてちょうだい」
「星の並びが人間みたいなんだ」
「どういうこと?」
「四つの明るい星が人間の肩と膝、真ん中の三つの星がベルト、下の三つはその人間が帯びている剣さ」
「“剣”って?」
「動物や別の人間を殺すための道具だよ」
「特に面白い“アイディア”とは思えないけど、独創的ではあるわね。いつ思い付いたの?」
「飛行船の中でね……」彼の言葉は途中で切れた。母親は息子が悲しそうだと想像したが、確信は持てなかった。“機械”が声音のニュアンスを伝えなかったからである。感情の機微が伝わる映話というものを誰もが思い描くのだが、そうでなくても実用性は充分だとヴァシュティは思った(訳注1)。かつては愚かしい価値観によってコミュニケーションの本質だと言われていたような、数値化できない事象を“機械”は無視する。ちょうど人造果実の製造業者がブドウの開花を全く無視して収穫だけを得るように。人類が“実用上充分”なものを受け容れてからすでにだいぶ永い期間が経っていた。
訳注1:この世界の音声通話は、おそらく現代の低品質な無線通話をさらに極端にしたようなもので、いったん音声を符号化(例えば声質や声調を切り落として文字化)して送信し、受信側で平板な人工音声として再生するのだと思われる。
「実を言うと」と息子は続けた。「ぼくはあの星々をもう一度見たいんだ。とても興味を惹かれるんだ。飛行船の中からじゃなく、何千年も昔のご先祖様がそうしたように地上から見たいんだ。そう、ぼくは地球の表面に行きたいんだ」
母親は再びショックを受けた。
「お母さん、どうしても来てほしい。地表に出ることがどれだけ有害なのかぼくを説き伏せるためでもいいから、とにかく会いたいんだ」
「別に害はないわよ」と彼女は自分を抑制しながら答えた。「だけど何の益もないわ。地球の表面は塵と泥しかない、何の役にも立たない場所よ。地表には何の生き物も残っていないし、人間も呼吸装置がないと冷たい外気で死んでしまうのよ」
「分かってるさ。もちろん準備万端ととのえていくつもりだよ」
「それに――」
「何?」
奇矯な性格の息子に探検を思いとどまらせようと、彼女は慎重に言葉を選んだ。
「そういう活動は時流に則さないわ」
「それはつまり、“機械”に反するってこと?」
「ある意味ではそうね。でも――」
息子の姿が青い映像盤から消えた。
「クーノ!」
彼は“絶縁”を使ったのだ。
わずかの間、ヴァシュティは独りになった。
明かりを点けると輝く光が部屋に広がり、部屋中に散りばめられた電子ボタンが見えるようになり、彼女は元気を取り戻した。ボタンやスイッチはいたるところにあった。食物を出すボタン、音楽を出すボタン、衣類を出すボタン――枚挙に暇がなかった。温浴ボタンもあり、これを押すと床から大理石(ただし模造である)の浴槽がせり出してきて、温かい無臭の液体が縁近くまで満たされるのだった。同様に冷浴ボタンもあった。読み物を供給するボタンもあった。そしてもちろん、友人たちとコミュニケーションするためのボタンも複数あった。この室内にはこれといったものは何も無かったが、世界中にある彼女が気にかけているもの全てとつながっていた。
ヴァシュティが次に取った行動は、“絶縁”スイッチを解除することだった。その途端、過去三分の間に溜まりに溜まっていた通信が押し寄せてきた。室内は電気ベルと電気伝声管の音で満ちあふれた。――新しい食べ物はどんな感じですか?――あなたはそれを他人に勧められますか?――最近、何か新しい“アイディア”は出ましたか?――自分の“アイディア”をあなたに話してもいいですか?――近日、公立保育所を訪問する約束をしてくれますか?――来月の今日にでも?
大半の質問を彼女はイライラしながら捌いていった。こういう苛立ちは、この加速された時代において激しくなるばかりなのだった。――新しい食べ物にはぞっとする。――用件がいっぱいで公立保育所にはとても行けそうにない。――自分自身の“アイディア”ではなく伝聞だが、四つの星の並びとその真ん中にある三つの星が人の形に見えるらしい。だがこの“アイディア”は全然大したものではないと思う。
そうこうする内にオーストラリア音楽について講義をする時間になったので、彼女はそれまでの通信を切って講義を始めた。公衆が集会するという無様なやり方が廃れてからすでに長い年月が経っており、ヴァシュティも聴衆も自室から一歩も動かなかった。講師は肘掛け椅子に座ったまま話したし、聴衆も同様に座ったまま話を聞き、そして講師の姿を見た。それで全く何の問題も無かった。ヴァシュティは前モンゴル時代の音楽についてのユーモラスな逸話で講演を始め、そして中国征服に伴う歌唱の隆盛へと話題を移した。イ=サン=ソー派やブリズベン派の方法論は現代音楽からは縁遠いもので実に原始的であるが、それでもなお彼らを研究することは今日の音楽家にとって得るところがあるのではないか。彼らの音楽には新鮮味があったし、そして何より“アイディア”があった――講師はそう思う、とヴァシュティは述べた。彼女の講義は十分間で終わり、なかなかの好評を得た。その後彼女と聴衆の大半は海に関する講義を聞いた。海から得られる“アイディア”は多い――そう講師は説いた。講師は最近、呼吸装置を着けて海を訪れていたのだ。それが終わるとヴァシュティは食事をし、たくさんの友人たちと会話をし、入浴して、そしてベッドを呼び出した。このベッドは彼女の好みに合っていなかった。大き過ぎたのだ。彼女はもっと小さいベッドが自分に合うと感じていた。
だが苦情は無意味だった。ベッドの大きさは世界中で統一されており、違う大きさにするには“機械”を大幅に改修する必要があるのだった。ヴァシュティは“絶縁”に入った――地下の世界には昼も夜も無かったので眠るためにはそうする必要があった。そして前回ベッドを呼び出してからの全てを思い返した。“アイディア”はほとんど得られなかった。“イベント”は……あえて言えばクーノに招かれたことくらいだろうか?
ベッドの傍らには小さな読書机があり、その上には混迷の時代からの生き残りが載っていた。一冊の本、すなわち『機械の書』である。この本にはあらゆる事態への対処法が記されていた。暑いとき、寒いとき、消化不良になったとき、言葉に詰まったとき、彼女は本を参照した。その度に『機械の書』はどのボタンを押せば良いか示してくれるのだった。中央委員会が発行しているこの書物は、人類の風習が事細かになっていくのに応じて分厚いものになっていた。
ベッドに座ったヴァシュティは『機械の書』をうやうやしく捧げ持った。彼女は誰かが自分を見ているのではないかと疑うかのように、明るく照明された室内を見回した。そして、半ば恥じながら、半ば楽しげに唱えた。
「おお、“機械”よ! おお、“機械”よ!」
その声は徐々に大きくなっていった。彼女は書物に三度接吻し、三度叩頭し、そして黙従の恍惚を三度味わった。儀式を終えるとヴァシュティは書物の一三六七ページを開いた。そのページには、彼女が(その地中に)住んでいる南半球の島から息子が住んでいる北半球の島に飛ぶ飛行船の出発時刻が書いてあった。
「あまり時間はない」と彼女は思った。
彼女は部屋を暗くして眠り、目を覚ますと明かりを点けた。食事をして、友人たちと“アイディア”を交換し、音楽を聴いて講義を受けた。そしてまた部屋を暗くして眠った。彼女の頭上では――いや足下でも、周囲でも――“機械”が永遠に続く唸りを上げていたが、生まれたときからその音を聞き続けてきた彼女は全く騒音を意識しなかった。そして地球も同じように唸りながら無音の空間を駆け、見えない太陽の方へ、見えない星々の方へと彼女を運ぶのだった。彼女は目を覚まし、照明を点けた。
「クーノ!」
「来てくれない限り、話すことは何も無いよ」と息子が答えた。
「この間話してから、地表には出たの?」
息子の映像は消えた。
(以下作業中)
(作業中)
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終わり