The Happy Clown by Alice Eleanor Jones
本作が掲載されたイフ誌(1955年12月号)の表紙。ケリー・フリース画。
これは平和と過保護と完璧の時代の物語。幼いスティーヴンは不適格者であり不服従者だった。彼は「完璧」を憎んでいた。
だがそれは厳しい生き方だった……
スティーヴン・ラッセルは不適格者、不服従者として生まれついた。最初の5年間、彼の人生は不幸だったし、そのせいで両親の人生も不幸のどん底に陥った。21世紀は完璧な時代だったが、この不可解な子供は完璧さを好まなかった。
最初に起きた問題は食物のことだった。母親はスティーヴンに授乳をしなかった。なぜならばベビー・ラック――すなわち虹色のプラスチック・チューブに詰められた乳児用の合成栄養飲料で、温めて飲ませるようになっている――のほうが自然の産物よりも優れていることは、すでに常識だったからだ。スティーヴンはベビー・ラックを飲まされたが、この乳児にとっては受け入れがたいものだった。その表情はしばしば嫌悪の色を見せた。
それからしばらく経つと、彼は離乳食の合成オートミールや合成フルーツ、合成肉を涙目で拒絶した。この子供は
医者は楽天的に言った。「何の問題もありませんよ。もっと空腹になれば食事を摂るでしょう」と。そして一応はその通りになった。だがスティーヴンは食事を楽しんでいなかった。
スティーヴンが1歳ぐらいになったある日、母親は息子を揺り籠ごと自分の寝室に運んだ。
そしてこの年もこっそりと例年行事を進めていると、赤ん坊が「ンマ!」と叫び声を上げた。その決然とした響き、銀製品に向けて伸ばされた小さな手。母親にとって、意味するところは完璧に明らかだった。彼女は息子に優しく微笑みかけ、しかし首を振って言った。「ダメよ、スティーヴィー。いい子だからこんな古臭いガラクタを欲しがっちゃいけません。ハッピー・クラウンで遊んでなさい」
スティーヴンは顔を赤くし、目を固く閉じた。そして母親が銀の皿とカップ、柄のカールしたスプーンを握らせるまで泣き止まなかった。食事時になってもこの子が銀製品を手放すことはなく、母親はプラスチックの皿とスプーンを片付けざるを得なかった。こうして、銀の食器のおかげで、坊やは食器の中身をなんとか我慢するようになり、少しは身体に肉が付き始めた。
スティーヴンはベビーベッドを嫌った。ベッドがハッピー・クラウンの歌を歌いながら優しく使用者を揺らすのはむしろ逆効果で、電源が切られるまで泣きわめいた。スティーヴンは清潔な性質で、母親が驚いたことに、14カ月になるころには歌うおまるやトイレ警報を出すハッピー・クラウンの助けを借りずとも自ら排便ができるようになった。そこで母親はベビーベッドを止めにして、揺さぶり機能付き、ハッピー・クラウンとテレビ画面も付いた幼児用ベッドを購入した。それは両親の使っているベッドの完全な縮小版だった――ハッピー・クラウンの部分について完全に再現されていた。スティーヴンはこのベッドも好きになれなかった。彼は電源の切り方を覚えたが、両親がしつこく電源を入れ直すので、ベッドを降りて床で眠るようになった。
ハリエットは困り果てて夫に言った。「どうすれば良いのかしら。ディッキー。うちの子は変よ」
リチャードは妻を慰めようと、心にもない決まり文句を言った。「心配いらないよ、ハリー。時が全てを解決してくれるさ」
時が経ってもスティーヴンは変わらなかった。例の銀の食器を使うには大きくなり過ぎてからも、引き出しの中の飾り気のない食器を頑固に使い続けた。彼は食事中、頑なにテレビ視聴を拒絶し、番組から眼を背け続けた。朝のカートゥーンからも、昼の子供番組からも、夕方のハッピー・クラウンからも。
「ハッピー・クラウン」はアメリカでは30年来、一つの権威だった。彼は毎日夕食どきに一時間はテレビに出演した。パペットや、アニメーションや、あるいは歌手や踊り手を伴って実写で。いずれにしてもその独特の哲理とユーモアは他の追随を許さなかった。誰もがハッピー・クラウンを大好きだった。30年に渡り、その役柄は何人もの役者によって演じられたが、メーキャップは常に変わらなかった。鮮やかな色を塗った顔はにこやかに輝き、丸々と太った身体は大笑いするとボウルに入ったゼリーのようにぶるぶると震えた。その含み笑いは不思議な伝染性があった。ハッピー・クラウンはいつでも陽気で愛想が良く、そして誠実だった。彼はあらゆる製品の美点を情熱的に語り、視聴者はそれを紛うことなき真実と捉えた。
その言動は単なる広告以上のものだった。それはむしろ世論だった。ハッピー・クラウンを視聴しているのは
ジョリー・キトンやダンシング・ドグジーで満足しない子供も、ハッピー・クラウンの番組を見終わった後なら大人しく寝室に行き、幸せな気分で眠りに就いた。まだ眠くない子供のためには引き続き西部劇と宇宙活劇が放映された。本当に内容の充実した番組を観るためには、夜10時まで待つ必要があった。そうすれば本物のスペクタクルが、クイズ番組が、そしてボクシングやレスリングが観られた。
スティーヴンはハッピー・クラウンもジョリー・キトンもダンシング・ドグジーも大嫌いだった。彼はカウボーイや宇宙船乗りには興味を示し始めたが、いつも良いところでコマーシャルが邪魔をした。牡牛を投げ縄で捕らえるには? 合成コーンの朝ごはんをお食べなさい。小惑星を打ち落とすには? みんな大好き、チョコミルくんをお飲みなさい! スティーヴンはテレビ画面付きのベッドから降りて床で眠りに就いた。
スティーヴンはレコードやしゃべる本も好きではなかった。託児所で、彼はテレビ越しに何かのレッスンを受けている人々に出会った。彼は冷めた眼で人々を見つめた。自分ではうまく説明できない何らかの理由によって、この幼児は文字の読み方を学びたがった。だが7歳になるまでは誰も教えてくれなかったので、彼は食品のパッケージに書かれた文字を元に自ら読み方を学んだ。しかしそれだけでは新聞や雑誌を読むのに不充分だった。スティーヴンは忍耐強く語彙力を増やして行った。広告の大半は簡単すぎて役に立たなかった――絵と、ごく単純な言葉しか書かれていなかったからだ。
印刷物を読むとは! 両親は息子の利発さに舌を巻いた。だが息子が「ぼくは字が読めるよ」と言うと、母親はこう答えた。「もう、スティーヴィー、ママをからかうんじゃありません!」と。そしてこの小さな異常者をこわごわと見つめた。スティーヴンは荘重に答えた。「うん。からかっただけさ」
彼はしゃべらない本が欲しかった。そういうものが存在することを知っていたからだ。だが家には一冊もなかった。この時代、音の出ない書物は非常に珍しいものになっていた。託児所にもそれは置いていなかった。
スティーヴンは託児所でも不幸だった。他の子供たちが何かに熱中しているのを見ると、彼はぞっとした。他の子供の存在自体が彼をぞっとさせた。彼らは元気いっぱいに集団で遊び、互いに汗ばんだ手で掴み合い、あえぎ、歯をむき出しにして、顔を突き合わせていた。彼らはいつも掴み合い、あえぎ、歯をむき出し、騒がしい集団を作り、集団で笑った。スティーヴンには理解しがたかった。放っておいてくれと言うこともままならなかった。彼が集団に背を向けていると、誰かが彼を捕まえて仲間に引きずり込もうとするのだった。
託児所の監視員は不幸なスティーヴンの両親に、息子さんは非友好的で非社会的だと報告しなければならなかった。スティーヴンは人と交わらず、コミュニティで生きていくのに必要な姿勢を全く身に付けなかった。彼は全くもって順応しなかったのだ。人々が最もショックを受けたのは、鳥や蜂についてテレビ授業があった時、彼はグループ実習への参加を拒否したのみならず、病人のようになって部屋の隅で固まってしまった。監視員にはどうしようもなかった。結局、監視員は病院を勧めるしかなかった。リチャード氏は心遣いに感謝した。病院はカウンセリングに比べれば多少は安かった――億万長者とはほど遠いスーパーマーケットの支配人にとっては助かることだった。
二人きりのときハリエットはリチャードに言った。「ディッキー、あの子はちっとも良くならないわ! 一体全体、どうすれば良いのかしら?」
難しい質問だった。ハリエットはこれ以上子供は産めないだろう。そして唯一の子供がこのままだと……
リチャードは厳粛に言った。「医者を信頼しよう。彼らはプロだ」
医者たちはまず、スティーヴンと会話しようと試みた。精神科医は坊やを柔らかいベッド――シーツにはハッピー・クラウンがあしらわれていた――に寝かせ、聖人のように優しい顔で話しかけた。「さて、スティーヴィー。今日はどうしたのかな?」
少年は精神科医の白く輝く歯から顔を背け、こう言った。「ぼくの名前はスティーヴィーじゃないよ。スティーヴンだよ」と。彼は痩せており、歳の割にだいぶ小さかった。なけなしの脂肪は託児所という過酷な環境に晒されて、揮発してしまったかのようだった。その髪は黒く、目は大きく、5歳児らしからぬ口の利き方をした。
精神科医は言った。「おやおや、ぼくらは友だちになるんだよね? 友だち同士はニックネームを使うのが当たり前だろ? ぼくの名前はウィリアムだけど、みんなはウィリーと呼ぶよ。きみもぼくをウィリーおじさんと呼んでくれ」
少年は慇懃に言った。「遠慮しておきます」
医者はへこたれなかった。「ぼくはきみを助けたいんだ。信頼してくれ。ね? スティーヴィー」
「スティーヴンです。起き上がっちゃダメなの?」
「ふつうは横になっているものだけど、そうしたいなら起きても構わないよ」と医者はにこやかに言った。「それで、きみはどうして託児所が嫌いなんだい?」
スティーヴンは用心深い態度を崩さないまま座った姿勢になった。医者の顔は優しかった。真っ白に輝く歯を除けば、全くもって思いやりにあふれる外観だった。スティーヴンは結局5歳児に過ぎなかったし、話し相手もおらず、ひどく気が滅入っていた。なので多分……彼は口を開いた。「でも、告げ口するんでしょ?」
医者は首を振った。「当然ここだけの話にしておくよ、スティーヴィー……いやスティーヴン」
少年は前傾し、両膝を閉じ、自分自身を抱きしめ、頭を下げた。胎児のような姿勢だった。「一人になりたいのに、託児所だと一人にしてくれないんだ」
精神科医は分別臭く答えた。「人間誰も一人きりではいられないものさ、スティーヴィー」彼は相手がスティーヴンであることを失念したが、少年はもう訂正をしてこなかった。「きみは他の人たちと一緒に生きることを覚えなきゃいけない。一緒に働き、一緒に遊び、一緒に学ぶんだ。そのコツを身に付けるには、実際にやってみるしかない。実際に人に会うのができないなら、テレビ越しでもいい。とにかく人と接するんだスティーヴィー。一人でいるのはダメだ」
少年は医者をじっと見つめた。「どうしても?」
医者は白い歯を輝かせて言った。「逆に聞くけど、きみは一体どうしたいんだい?」
スティーヴィーが答えた。「知ったことじゃないよ」
医者はゆっくり、はっきりと言った。「スティーヴィー。きみが生まれるよりずっと昔、世界はとても悪い場所だった。戦争が絶えなかった。なぜだか分かるかい?」
少年は首を横に振った。
「人々がみんな互いに違っていて、互いのことを理解しなかったし、理解しようともしなかったからだ。彼らは平等と、理解し合うことと、仲良く暮らすことを学ばなくてはならなかった。それは長い道のりだったんだよ、スティーヴィー。そうして生まれた習慣の一つが、互いの家を訪ねること、つまり……」
スティーヴンが言った。「“ハッピー・ツアー”のことだね」
「そう。きみが12歳になったら、“ハッピー・ツアー”にも参加できる。楽しみだろう?」
「一人で居られるならね」とスティーヴン。
医者は少年をぎろりと見つめた。「それはダメだよ。分かってくれ、分かろうとしてくれ、スティーヴィー。一体全体、きみは他人のどこが気に入らないんだ?」
スティーヴンが答えた。「全部。何もかも」
医者は根気強く尋ねた。「でも、なぜ?」
スティーヴンは医者から目をそらさず、とても奇妙な返事をした。「ぼくの身体を触ってくるんだもん」と。少年はさらに縮こまったように見えた。「手だけじゃなくて、色んなところで」
医者は悲しげに首を振った。「そりゃそうさ。それは単に……いや、きみは若すぎて理解できないようだね」
面談はこんな具合だった。その後スティーヴンは一週間に渡り、一連のテストを受けさせられた。精神科医は少年に嘘を付いていた。最初の面談の間もその後のテストの間も、全ての会話が密かに録音されていた。文字起こしした結果は分厚い書類になり、院長のオフィスへと送られた。
全テストが終わると、院長はスティーヴンの両親に深刻な口調で言った。「率直に言いましょう。お子さんは実に非凡です。その知能のほどは12歳児に相当すると言っていいでしょう。しかし、非凡さは正しい方向を向かねばなりません。現状では、率直に言って、その非凡な知能は悪い方へ悪い方へと働いています。一年ほどかけて治療してみましょう。それで結果が出なければ、遺憾ながら最終手段を取ることになります」
リチャード氏の唇はいつの間にかかさかさに乾いていた。「まさか、シュタイナー療法ですか?」
院長はうなずいた。「それが唯一の方法です」
ハリエットは身震いし、泣き叫んだ。「うちの家系からそんな人間が出るなんて! そんな不名誉な……。ああ、ディッキー、死んだ方がましだわ!」
院長は穏やかに言った。「別に不名誉なことではありませんよ、奥さん。世間には勘違いしている人間も多いですがね。息子さんは単なる病気――原因不明ではありますが――に罹っているだけで、単に最適な治療法がシュタイナー療法というだけの話です。名誉も不名誉もありませんよ。治療で変化するのは性格だけです。それが済めばお子さんは幸福で健常な、当たり前の子供になれるのです。不幸な過去は抹消されます。誰も陰口など叩きはしません。……しかし急ぐ必要はありません。今回の症例ですと、子供の性格が自然に変化するのを待つほうが良いでしょう。ひとまず一週間ほどスティーヴィーを預けてください。心理療法から初めてみますので」
スティーヴンは――まさに院長が言ったように――非凡な子供だったので、このままだと自分が好む多くの物事から隔離されてしまうことをすぐに理解した。彼がその気になって観察すれば、何がパパを青ざめさせ厳格にするのか、何がママを泣きわめかせるのか、洞察するのに大した時間はかからなかった。少年は自分なりに両親を愛していたので不幸になって欲しくはなかったし、何より自分が開頭手術されてしまうのは願い下げだったので、演技を始めることにした。そしてスティーヴンは、たったの5歳にして、自分が演技の才能においても卓越していることを発見した。少年は世間に合わせ、人と和し、その他大勢に混じった。社会的で友好的な態度を身に付け、コミュニティに受け入れられるようになった。古い銀食器とは自発的に決別し、幼児用ベッドを受け容れ、「ハッピー・クラウン」を視聴した。託児所でもそつなく過ごした。彼はグループ学習にも問題なく参加し、もはや病的なそぶりを見せたり、我を失ったりすることは全くなくなった。
両親も医者たちも大いに喜び、二・三ヶ月もするとスティーヴンは病院通いから解放された。12歳になるまでに、彼は“ハッピー・ツアー”を体験し、“ハッピー・スカウト”にも加わり、そうこうする内に隣家の娘と“ハッピーな実習”を済ませた。ハリエットとリチャードは息子を心配するのをやめた。時折スティーヴンは涙を流すしかないほど演技を辛く感じたが、固い意志力で涙が出るのを抑えた。
スティーヴンは16歳で高校を、20歳で大学を卒業した。彼は学校で、しゃべらない本を読み尽くした。高校の図書室は貧弱だったが、大学の図書館はかなりのものだった。慎重にも、彼は凡庸を装って過ごすことを選んだ。知能テストの結果も標準を多少上回る程度とされた。学生時代、青年は役者として評判を取った。演劇部では指導的な役割を果たし、「ハッピー・クラウン」の再演では顕著な成功を収めた。もちろん、スティーヴンがハッピー・クラウン役である。彼は大学を卒業するとすぐにニューヨークTV芸術学校に進んだ。寄宿舎に住むために家を離れる時、母親は涙を見せた。
スティーヴンはここでも優秀で、慣例に反して多くの主役を務めた。最初の年のうちに卒業を待たずして引き抜きに遭い、昼の人気ドラマ「ザ・ハッピー・ライフ」の新シーズンに出演した。
「ザ・ハッピー・ライフ」は若い外科医の物語で、そのあまりに優れた容貌のせいで、ロマンティックな騒動に次々と巻き込まれるという主旨だった。スティーヴンは主役として抜擢され、すぐに成功を収めた。前任者はジョリー・キトンの代役に回された。スティーヴンの抜擢の理由の一つは容貌にあった。彼は類まれなハンサムで、役を演じるのに特段のメーキャップや特殊なカメラワークを必要としなかった。その声は深みがあり、セリフを発するタイミングには絶妙のものがあった。彼にとって「ダーリン、わたしの心は千々に砕けるようだ」と完璧な抑揚で言いながら、その麗しい眼から涙を流し、顎の筋肉のひきつりで微妙な感情を表現し、そして「侯爵シガレット」のコマーシャルの間(5分か10分)一定のポーズを保っていることなど、実に容易だった。ファンレターは莫大だった。
だがそんな演技をしながら、彼が本当は当惑と自己嫌悪と絶望を感じており、彼が流す涙が時として本物であることを、「ザ・ハッピー・ヤングメン」寄宿舎の仲間たちは誰一人として気づかなかった。
スティーヴンの人生はうまく行っていた。彼は大いにもてたが、女性に深く関わり合うことはなかった。男たちは、あまりにハンサムなスティーヴンを許し、総じてほどほどの友好関係を築いた。だが彼は孤独だった。人々に囲まれ、干渉され、揉みくちゃにされ、心身ともに絶えず接触されていても、それでもなお彼は孤独だった。
スティーヴンが自分と同じような非主流派――内気で、自分をさらけ出すことを好まない人間――しかし時としてそれを強いられる人間――に出会うことはほとんどなかった。彼らのうちある者は哀れな病人としてシュタイナー療法を施されたり、またある者はスティーヴンと同様に発見され、病院で不幸な宣告を受けたりした。催眠術や薬品の影響下で正体を現した彼らは、もし成人であれば即座にシュタイナー療法――すなわちシュタイナー式新ロボトミー療法――で矯正されるのだった。成人に対してそれ以外の治療法が無いことは証明済みだからである。
不適格者には組織も無く、地下組織も無かった。戦うべき不正も、抵抗すべき残酷さも存在しなかったからだ。大衆は優しかったし、順当かつ公正に選出された指導者たちもまた優しかった。彼らは皆、効率と協調と親切がもたらす福音を心底から信奉していた。その信条が、購入し消費できるすばらしい商品(宣伝もすばらしい)で満ちた、すばらしく住みよい世界を作り上げたのだから。それゆえに、医師が不適格者を見つけたならば、この世界のすばらしさを分からせてやり幸せにしてやるために、シュタイナー療法を施してやるのが親切というものであり唯一の選択肢だった。
スティーヴンはTV芸術学校では不適格者には出会わなかったし、「ザ・ハッピー・ライフ」に出演するようになってからも出会わなかった。デニス・コットレルがキャストに加わるまでは。デニス(もちろん通称はデニーだ)は一見にこやかな普通の娘だったが、その眼はえも言われぬ深い青で、テレビ映りの良い顔には風変わりな表情が浮かぶことがあった。スティーヴンが最初に驚いたのは彼女の眼だった。彼女の眼がスティーヴンの絶望的なまでの孤独を見通し、そして共感していることを、彼は直感した。
それからの二カ月、彼らはできる限り一緒に過ごした。二人は公共の場で普通の顔を装って知的で異端的な会話を楽しみ、二人きりの場ではそれに留まらず一緒に笑い、そして時には涙を流した。彼らは恋に落ちた。二人は議論を重ね、結婚して一ダースもの賢くて反逆的な子供を作ろうと計画を練った。デニスは考え深く言った。「わたしたちの子供は賢ければ賢いほど良いわ。だって、自ら全てを学び、そして隠れることも学ばなきゃならないんですもの」
彼らはデニスのアパートで、ルームメイトのポーリーン――通称ポリー――が外出している間にせわしなく愛の営みをした。二人は自分たちの行為がいかなるグループ実習に発展するのも望まなかったからだ。デニスは不思議そうに言った。「人が、誰か一人だけを本当に愛するっておかしいことかしら?」と。スティーヴンは彼女にキスしながら答えた。「いや、ちっともおかしくないよ」
スティーヴンはデニスを両親に紹介した(デニスの一家は三千マイル遠くに住んでいたので後回しになった)。彼女が演じた礼儀作法と魅力は当世的で完璧だったので、父リチャードと母ハリエットは大いに喜び、二人の結婚を熱望した。スティーヴンはクリスマスにデニスの両親が東部に来るまで結婚を延期したがった。彼女は笑って言った。「なんて因習的なんでしょう! でもそういうところも嫌いじゃないわ、ダーリン」
彼らが結婚する日を待っていたころ、スティーヴンのエージェントが未曽有の話――まだ若く実績の少ない役者にとってはまたとないチャンス――を持って来た。現在のハッピー・クラウン役が老齢と病気のため
スティーヴンは言った。「分かったよジョーイ」と。そして自分の繊細な顔に、新しく必要になるであろう感情をインプットし始めた。ほどなく、新たな感情は、まるで前世紀からの自然な感情であったかのように自分のものとなった。彼はハッピー・クラウンという概念の全てが嫌でたまらなかった。だが大金になる。スティーヴンは金の魔力に逆らえるほど強くはなかった。金があればこの稼業から早めに足を洗い、デニスと一緒に、どこか多少は自由に暮らせる国へ行って隠棲することもできるだろう。
スティーヴンはオーディションを勝ち抜いた。彼はすぐにスタジオの電話ボックスからデニスに電話を掛けた。ポリーが青ざめた顔で電話に出た。画面越しでも怯えている様が窺えた。彼女は早口に言った。「ああスティーヴ! 一時間前から何度もあんたに電話してたのよ。デニスが病気で、病院に連れて行かれたわ!」
スティーヴンはよろめき、電話ボックスの固い壁にもたれかかった。背筋を冷たい感覚が走った。彼は受話器を取り落としそうになった。「どんな病気だい? どこの病院?」
「チュ……虫垂炎。ハッピー・アワー病院よ」とポリーは泣きながら言った。「ねえスティーヴ。わたしはもう――」
「心配無用。後は僕に任せてくれ」そう言って彼は不意に電話を切り、その場を立ち去った。
病院は、可能性は低いが致命的になり得る合併症を避けるため、すぐさま手術をした。……そして麻酔で朦朧とする中、デニスはテレビや、ハッピー・クラウンや、この国の体制に関する見解を吐露した。医者たちは憐れみの表情を浮かべ、すぐさまシュタイナー療法を行った。スティーヴンが何も知らずに待合室に座り込み、侯爵シガレットを一箱吸いつくしている間に全ては終わった。
一仕事終えて手術室から出て来た医者は事もなげに言った。「ちょっとした必要性が生じまして、ご理解いただけると思いますが、簡潔に述べますと――」
一瞬スティーヴンは悪心を覚えたが、彼の鼻先で医者が小さなアンプルを開けると快い気分になった。これは医者たちがシュタイナー療法のあと患者の家族、恋人や友人に事実を告知する時に使う常套手段だった。
医者は言った。「大丈夫ですか? それなら結構。患者にはしばらくの間注意してくださいね。そろそろ目を覚ますでしょう。もう悪いころろは全部取ってありますから心配はいりませんが、動かしたり触ったりは……」
スティーヴンは答えた。「分かりました」
デニスに面会する許可が出た時、彼はまだ気分が悪かった。彼はベッドの側に座り、必死で恋人に話しかけた。「デニス、返事をしてくれ。頼むよデニス!」
彼女は目を開き、眠そうにスティーヴンを見て微笑んだ。「あらスティーヴィー。来てくれて嬉しいわ。待っていたのよ、ダーリン」
スティーヴンは言った。「デニス――」
彼女は顔をしかめた。「どうしてそんな呼び方をするの? デニーと呼んでちょうだい。それで、オーディションは受かったのかしら? ダーリン」
彼は少し下がりながら答えた。「ああ、受かったよ」
デニスはまばゆい笑みを彼に投げかけた。「素敵ね! あなたを誇りに思うわ、スティーヴィー」そして眠りに落ちた。
この晩、スティーヴンは寄宿舎で一睡もできずに過ごした。静かに横たわったが身体はこわばったままだった。落涙という束の間の逃げ道を望んだが、涙の一滴も出てこなかった。
その後スティーヴンは毎日デニスを見舞いに行ったが、恋人が来たことに気づいて彼女が自ら目を覚ますことは、最初の時を除いて一度もなかった。頭の包帯が取れるまで、医者たちは彼女を鎮静状態に置いていた。デニスは、自分が病院にいる理由を、虫垂炎の治療が長引いたとしか聞かされていなかった。彼女を見つめていると、スティーヴンは自分が彼女から離れがたいことを感じた。彼は彼女を完璧に愛していた。彼女が愛を必要としていなくても、彼女が愛を理解できなくても、スティーヴンは彼女を愛さざるを得なかった。
しばらくの間、スティーヴンは自分の正体が――何と表現すれば良いだろう?――社会と相容れない人間であることを誰かに告白しようかとも考えた。そうすれば人々は自分をデニスと同じようにしてくれるだろう。彼は身震いした。本当にそんな風になりたいのか? 頑固なプライドがノーと言った。
デニスが退院し、結婚式を待つ間ホテルに滞在し始めると、スティーヴンは以前にも増して彼女を気遣い、思いやり深く、愛情深く接した。彼女はとても
スティーヴンは熱病に取りつかれたようにハッピー・クラウンの稽古に励んだ。彼は職人的で良心的な芸術家だったので、全力で仕事に打ち込んだ。スポンサーは大満足だった。クリスマスの前の週、当代のハッピー・クラウン役は引退し、よぼよぼとした足取りで養老院へと去って行った。ファンファーレは無かった。大衆はハッピー・クラウンに寿命があるとは思っていなかったし、スティーヴンのメーキャップは前任者と全く変わらなかった。最初の五日間、彼は完璧に役を演じ切った。
六日目、彼は昨日までと変わらず役を演じた。むしろ昨日までより冴えているくらいだった。彼のコマーシャルには独特の熱情がこもっており、スポンサーも満足している様子だった。デニスも撮影場所に来ており、ガラス越しにスティーヴンに愛情深い笑顔を見せていた。
今夜のスティーヴンは多少急ぎ過ぎのようだった。映像技術者は主役の動きに若干スローモーションをかけて、尺を稼いだ。しかし素材を使い尽くしてはどうしようもない。三分ほど時間が空いてしまった。その時スティーヴンが口を開いた。「よし、皆さん、今日は特別な話をしよう」
そしてすばやく中央のマイクに向かった。スポンサーや、技術者や、収録を見に来ている観客や、アメリカ中の視聴者が、スティーヴンが何を話すのか身を乗り出して聞いていた。彼は早口に話し始めた。
「きみたちは皆、本当に
彼は身を乗り出し、カメラに鬼気迫る表情を見せた。派手な化粧や職人的な仕上がりの含み綿のせいで、彼の唇は今やグロテスクにねじれていた。目からは涙がこぼれ、化粧に二つの筋を残した。
「長くて鋭いナイフだぞ、きみたち!」彼は声を整えるために一瞬だけ言葉を切った。そして震える声で再び話し始めた。「
不幸中の幸いで、最後のあたりは誰にも聞かれなかった。驚きの余り麻痺していた技術者が、我に返って電源を切ったからである。そして舞台に幕を下ろす信号が送られ、ハッピー・クラウンのエンディング・テーマが流れた。スティーヴンは徹底的に自分自身を終わらせた。彼の話を聞いていた人間なら誰でもそうするだろうが――実際デニスやスポンサーもそうした――人々は舞台に押しかけてスティーヴンを押しつぶした。
スティーヴンへのシュタイナー療法は問題なく完了した。彼は地味な、人の言うことを良く聞く、全くもって型どおりの若者に生まれ変わった。今の彼は、まるで神経衰弱に苦しんでいるような印象を人に与えた。
彼は一月が終わるまでには「ザ・ハッピー・アワー」から降ろされ、傷心の看護婦三人と女性外科医一人を無邪気に捨て置き、退院して両親のもとに帰った。回復期の間、両親は辛抱強くスティーヴンを世話し、強い愛情を注いだ。この事態は両親にとって不名誉だったが、もう過ぎたことだったし、彼らは以前にもまして息子を愛していた。彼が真人間に生まれ変わったからである。
デニスは彼のもとを去って行った。スタジオでの爆発、シュタイナー手術、そして「ハッピー・クラウン」からの降坂――ここまで重なると、彼女の我慢は限度を超えた。デニスは婚約を破棄し、スティーヴィー・ラッセルを全くの馬鹿者だと言い捨てた。彼はかつての自分が事件を起こした理由も、デニーが突然自分から離れて行った理由もよく分からなかったが、みじめな思いをした。
「ハッピー・クラウン」における放送事故はすぐに忘れ去られた。ジョリー・キトンとダンシング・ドグジーが過去のライバル関係を忘れて強力なコンビを組んだことにより、新しいコメディ番組が始まったからである。彼らの面白さは驚異的で、そのジョークは誰にでもことごとく受けた。視聴者はコンビの意見には容易に賛同したし、羊のネタには爆笑した。そのユーモアはハッピー・クラウン譲りで、辛辣なところがあるかと思えば、正論の極みで、庶民的過ぎず、なおかつ地に足が着いていた。二匹はハッピー・クラウンについてもネタにした。しばらくするとティーンエイジャーたちは互いに「ハーイ、シープ!」と呼び合うようになった(もちろん女の子は「ハーイ、ラム!」だった)。機を見るに敏なデモインのとある会社が、さっそく羊のグッズを発売すると、それは大当たりをとった。
だが業界ではスティーヴンは死んだものとして扱われていた。シュタイナー療法を受けていようといまいと、彼が演じていた役のことを公に口にするのはタブーとなった。スポンサーは決して恨みを忘れないだろうから、臭い物には蓋という方針がコンセンサスとなった。スティーヴンは別に気にしなかった。彼は役者を続けたいという欲求をすでに失っていたからだ。
青年は父親のスーパーマーケットで働き始め、合成オートミールや合成コーンや合成ゼリーの棚の間で幸せそうに過ごした。彼はフランシス――当然フラニーと呼んだ――に出会うと、デニスのことも忘れた。スティーヴィーはフラニーを愛し、フラニーもスティーヴィーを愛した。二人はその夏に結婚し、小さな家を手に入れ、購える限りの家具をそこに詰め込んだ。夫婦が最初に買った家具はテレビだった。つまるところ、スティーヴィーが言ったように、彼らは「ハッピー・クラウン」を見逃したくなかったのである。
終わり
訳注:挿絵はケリー・フリース (Frank Kelly Freas) 画。cf.isfdb