Captain Chaos by Nelson S. Bond


『キャプテン・スロップス』ネルソン・S・ボンド作

1

わたしたちが新しい料理番スロップスを乗せたのはフォボスでのことだった。いや、フィーバス(訳注:Phoebus、ポイボス。太陽神アポロの別名。架空の天体の模様。)でもフェーベ(訳注:Phoebe、ポイベー。土星の第9衛星。)でもない。火星に近い方の衛星のフォボスだ。サンド・シティ宇宙空港を離陸した直後、元の料理番が急性の消化不良で倒れたからだ――あの馬鹿野郎、うっかり自分のヤクザな料理を食べたに違いない。だがレオ号は封緘命令に従って航行中であったため、引き返すわけにはいかなかった。

そこで本船はクレーターだらけの小さな天体、フォボスに寄港したのである。急病人を病院にぶち込んでから、船長がわたしにこう言った。「よし航空士ミスタードゥーガン、料理番を見つけて来てくれ」

了解ですアイ・サー!」そう答えてわたしは出かけた。

しかし言うは易し。フォボスにはごく少数の植民者が住んでいるだけで、その大半は然るべき定職に就いている。しかも外惑星同盟との戦時下に、オンボロのパトロール船で、行き先も分からない航宙に出ようと思う物好きがそうそういるわけがない。もちろん料理番なんてものは、特に必要のない時であれば一山いくらで手に入るのだ。だが至急必要になった時に限って、やつらを探すのはヌーディスト・キャンプでペチコートを探すかのごとく困難な仕事になる。

わたしはレストランを巡り、職業紹介所をはしごしたが、成果は得られなかった。ホテルや民宿も当たってみたが、無駄骨折りに終わった。やけくそで、フォボスの富裕な住民たちに、古き良きIPSのためにシェフを譲って欲しいと愛国心を煽る低姿勢な音声メッセージをばらまいてみたが、返って来たのは沈黙だけだった。

船に戻って船長に告げた。「すみませんが、お手上げです。この腐れ衛星を端から端まで探してみたんですが、料理番は見つかりません」

船長はコーデュロイのように密生した眉の下からわたしを見据え、仏頂面で口を開いた。「見つかりませんでは済まんよ、ドゥーガンくん。料理番なしでは出港できん」

「いざとなれば」とわたし。「パイを茹でたり、ステーキをスクランブルするくらいわたしがやりますよ」

「志はありがたいがね、そりゃいかんよ。今回の任務中、全乗員は然るべき食事を摂り、万全の健康状態を保たねばならん。通例のパトロール任務ならともかく、今回は封鎖線を突破……」

船長は言葉を切ったが、もう遅かった。わたしは船長を見つめた。「封鎖破りですか? 命令書を読んだんですね?」

親父オールドマンは深刻な表情でうなづいた。

「そうだ。離陸後に全員に通知するつもりだったが、士官になら今伝えても良かろう。本官は、サンド・シティを離れて4時間後に命令書を開けるよう命令されていたのだ。だから数分前に命令書を読んだ。

本船は、外惑星同盟の封鎖線を突破し偵察任務を行う。目的地は木星第四衛星カリストである。太陽系連邦諜報部は、カリストで王党派が蜂起を企てているという情報を得た。カリストは戦争に疲れ果てており、同盟を脱退して連邦に復帰しようとしているのだ。

もし本当にそうなら、連邦は喉から手が出るほど求めていた足掛かりを、同盟の中心地である木星系に得られることになる。そこで我々の任務としては、風説が事実かどうか確認し、事実であればカリストと協定を結ぶことだ」

なんとまあスイート・ハウリング・スターズ! こりゃ重大任務ですね。われわれの働き次第ではこの戦争を終わらせられるかもしれない……太陽系が統一され、新しい黄金時代が幕を開けるかもしれない……」

「もし、成功すればの話だ」とオハラ船長。「簡単な任務ではない。万全の健康状態にない者がこなせる任務とは思えない。だから間に合わせではなく、ちゃんとした食事が必要だ。つまり、料理番を乗せなくてはいかん。さもなくば――」

「その心配はありませんよ」と、突然甲高い(ただし不愉快ではない)声が私たちの会話を遮った。「厨房はどこですか?」

2

わたしは声の方へ顔を向けた。船長もそうした。わたしたちは小柄で風変わりな人物と対面した。細身で、小ぎれいな服装の地球人の若僧。身長は5フィート2インチもない。頬はすべすべだ。身を包んでいる宇宙勤務者の制服はぶかぶかで、2・3サイズほど大き過ぎるようだ。ホルスターに収まったヘムホルツ光線銃は一つの軍団を焼き払えるほどの代物。そして右手には巨大な肉切り包丁を引っさげていた。声の主は性急に繰り返した。

「厨房はどこなんです?」

親父オールドマンは相手を凝視したまま、何とか口を開いた。「だ…誰だね、あんたは?」

「ぼくは、」と見知らぬ小男が答えた。「新しい料理番ですが」

「新しい料理番だって……? 名前は?」

「アンディです」と新入り。「アンディ・レイニー」

親父オールドマンは唇を噛んだ。「アンディ・レイニーくんとやら。どうもわたしの眼には、きみが料理人のようには見えないのだがね」

小僧は臆せずに言い返した。「お互い様ですよ。ぼくの目には、あなたも宇宙船の船長のようには見えません。で、雇ってくれるんですか、くれないんですか?」

船長の顔から表情が消え、代わりに顔色はさっと紅潮した。わたしは慌てて割って入った。「まあまあ船長。ここはわたしに任せてください」

言葉に詰まっていた船長はようやく口を開いた。「で……本当に料理人なのか?」

「そうです。それも、一流の料理人です!」と、相手はいけしゃあしゃあと答えた。

「本船の行き先は現時点では明かせない。それでもサインするかね?」

「ぼくがここに立っているということは、それを承知の上で来たということです」

「で、宇宙勤務証明書はあるのかね?」

「それが実はですね――」

「調子に乗るんじゃない!」船長がついに爆発した。「利口ぶった小僧がべちゃべちゃ喋りくさりおって! 船長のようには見えないだと? ああん? いいか、このヒヨッコが――」

わたしは素早く口を挟んだ。「失礼ですが、細かいことを気にしている場合ではありません。『嵐の時に港を選ぶな』ですよ。もしこの若者が本当に料理ができるなら、それで充分かと」

船長の顔色が落ち着いた。彼はうなり声を上げた。「うむむ。そうだな。言うとおりだドゥーガン。よろしい、料理番スロップス。お前を雇ってやる。厨房は左舷の第二階層だ。手早く仕事を始めてもらおう。

ドゥーガン。マクマートリーを呼んで、ただちに離陸すると伝えてくれ――スロップス! そこで何をやってる?」

新入りが操縦室の奥まで入り込んで、軌道図を興味津々といった様子で覗き込んでいた。船長に怒鳴られてアンディ・レイニーは顔を上げた。

「ヴェスタですか!」と彼はおかしなくらい高い声を発した。「ヴェスタ行きの弾道軌道! つまり同盟の封鎖線を突っ切るわけですね?」

「お前には関係ない!」オハラ船長が雷を落とした。「ただちに出て行け。さもないと月のラベンダー湖に賭けて――」

「もしぼくがあなたの立場だったら」と、新入りの小さな料理人は考え込みながら言った。「ヴェスタよりアイリスを狙いますね。その方が警戒が薄いでしょうから。それか、微小天体に紛れて監視の目を誤魔化すのも良いかもしれません」

「ミスター・ドゥーガン!」

親父の声に不吉な響きがあることを、わたしは辛うじて察した。わたしは迅速に敬礼して言った。「ハッ。何でしょうか」

「この……この料理戦術家様を手早くここから連れ出してくれ。わしが、自分が将校であり紳士であることを忘れる前にな。で、大先生のご意見を賜りたいときは、こっちの方から厨房にお伺いすると伝えておいてくれ」

若者は傷ついた表情を隠そうとしたが隠し切れなかった。彼はゆっくりと向きを変えると、わたしに付いて司令塔ターレットを出た。傾斜路を下り、彼の持ち場になる船室に入った。わたしが帰ろうとすると、アンディは申し訳なさそうに言った。「ミスター・ドゥーガン、悪気はなかったんです。ただ、良かれと思って」

「坊や。立場を弁えなきゃいかんぞ」とわたしはきっぱり言った。「うちの船長は宇宙時代始まって以来の名船長だ。料理番の意見は必要としてない」

「でもぼくは小惑星帯ベルト育ちなんですよ」と小僧は悲しげに言った。「ベルトのことなら何でも知ってます。ぼくの意見は間違ってないです。いちばん安全なルートは、アイリス経由です」

おお、何という小僧だ。少し親身になってやったらこの調子だ。わたしは言葉をほとばしらせた。

「いいか、よく聞け。お前は料理番の仕事に志願したんだ。その本分を尽くせ。メシのことはお前に任せる。船のことはお前以外の人間が担当する――分かったかな? キャプテン・スロップス!」

わたしはドアを勢いよく閉めて厨房を後にした。

3

レオ号はヴェスタに針路を取った。しばらくして船長は乗務員を集めて本当の目的地を周知した。もし怖気づいたやつが一人でもいたと思うなら、あなたはスペースマンというものを分かっていない。機械油まみれの老機関長ジョック・マクマートリーからボーイのウィリーに至るまで、レオ号の乗組員は全員が意気軒昂だった。

副船長のジョン・ウェインライトは鶏小屋に入り込んだ狐のように舌なめずりして言った。「封鎖破りか! 腕が鳴るぜ。敵艦と交戦もあり得るってことだな? おい」

やり手の平船員のトッドが不気味な満足感を見せて答えた。「そうなるといいっすね。外惑星の畜生どもに目にもの見せてやりましょうや」

寡黙な機関士は一言も言葉を発さなかった。だがその引き締まった表情、タコで装甲された両手にツバを吐きかける様は、その心境を雄弁に物語っていた。

この集会には、ただ一人の欠席者があった。新任の料理番スロップスである。昼食の準備で忙しかったのだろう、彼が顔を出したのは船長の話がほとんど終わりかけたころだった。

「メシですよー! 早く食堂に集まってくださーい!」

全員がそうした。“キャプテン・スロップス”にどれだけの欠点があるかはともかくとして、彼が自らを宇宙でも一流の料理人だと称したのは誇張ではなかった。その料理は――おお、わたしたちがこれまで“料理”と呼んでいたのは紛い物だったと分かった。わたしは食い物を腹に収めるのは得意だが、それについて言葉で説明するのは苦手だ。どの料理もこってりとして、具だくさんで、グレービーソースがたっぷりかかっていて、量も充分。そしてとろけるような美味だったとだけしか言えない。

この日の昼食は、われわれレオ号の一同が近年に味わった最高の美食だった。親父もそのことを態度で認めざるを得なかった――彼は背もたれに深く身体を沈めて、ふくらんだ下腹を満足げに撫でていた。親父が厨房から料理番を呼ぶベルを鳴らすと、我らが小さな友人がせかせかとした足取りでやって来た。

「料理はいかがでしたか?」彼はおずおずと口を開いた。

「ぐうの音も出ないよ、スロップス」とオハラ船長は喘ぐように言った。「完璧だ。すばらしい料理に、心からの賛辞を言わせて欲しい。それで、厨房の設備は大丈夫だろうね?」

“キャプテン・スロップス”は乙女のように赤面し、もじもじと、片足からもう片足へ体重を移した。

「お褒めに預かって恐縮です。ええ、問題は全く――」彼は言葉を切って言い直した。「一つだけあります。船長」

「ほう。遠慮はいらない。言ってくれ。何でもお望みどおりに計らおうじゃないか」と親父オールド・マンは気さくに言った。「最高のシェフには最高の道具が必要だからな」

若者はまだもじもじしていた。

「ほんの些細なことなんです。船長のお手を煩わせるほどのことでは……」

「いやいや、気にせず言って欲しい」

「実は」とスロップスは遠慮がちに口を開いた。「厨房に焼却炉があると嬉しいです。現状の生ゴミ粉砕機は旧式で不便な上に不衛生なのです。仕方がないので、生ゴミを捨てるために厨房から二階層離れたエンジン室まで往復しているんです」

船長は眉間にしわを寄せた。

「すまんなスロップス」と船長。「今すぐにはどうしようもない。この船にはそういう装置は積んでいないんだ。このフライトが終わったら何とかしよう」

「おお、それはもちろん分かっているのですが」とスロップスは内気な口調で言った。「代わりになりそうなものを見つけたんです。錆びたノーラン式熱線砲が一門、倉庫に転がしてありますよね。あれを厨房の排気口に取り付ければ、焼却炉として使えると思うんです」

わたしは反対した。「スロップス、それはいけない。規則違反になる。第44条の第16項で『固定式兵器は暴発、二次放射、その他重火器に特有の悪影響が周囲に及ばないよう、専用の砲座にのみ設置すること』と定められているんだ」

小柄なシェフはがっかりしたようだった。「それは残念です。明日の夕食はとっておきのメニューにしようと思っていたんですが。沼鴨のローストをメインディッシュとして、付け合わせ一式、それにデザートはピンベリーのパイ。しかし焼却炉が無くてはこういう凝った料理は見送るしか……」

船長が、バーベキューでお預けを食らった仔犬のように苦悶の表情を浮かべた。デイヴィッド・オハラ船長はちょっとした快楽主義者で、金星の沼鴨と火星のピンベリーはまさに彼の大好物だった。

「まあまあドゥーガンくん、そんな固いことは言わないでも良いんじゃないかな。その規則は要するに素人が重火器に触らないようにするため、本に入れられたんだ。スロップスは大砲を欲しがっているわけじゃない。古いノーラン砲を厨房で焼却炉の代用にしても、別に害は無かろう。許可する。で、スロップス。焼却炉があれば明日の料理は大丈夫だろうね? メインディッシュも、付け合わせも、デザートも」

わたしの勘違いかもしれないが、スロップスの目に奇妙な輝きが一瞬走ったように見えた。それは感謝の気持ちか、逆に自己満足の気持ちだったのか。いずれにしろ、それは一瞬で消え去った。彼は絹のように滑らかな声で答えた。

「はい船長。万事OKです。焼却炉が整い次第、すぐに調理を始めます」

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In the unbelievable shambles, two of the cruisers collided.

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終わり