The Last Victory by Tom Godwin
輸送船は、地球からの
夕暮れ。宇宙船は森にほど近い草原の斜面に擱座していた。船体は傾いていたが、反重力プレートのお陰で辛うじて倒れずにいた。死者はすでに宇宙空間に投棄されており、生者だけがこの惑星に島流しになった。五十人のアウトランダー(女や子供もいた)と、十八人の宇宙船乗務員、そして十人の宇宙警備隊員である。
警備隊の将校と輸送船の船長――二人は階級が同じだった――は、すでに互いを冷静に値踏みしつつあった。
吠え声を上げる何かの群れが、暗い森から近づいて来た。セインは、カリー船長が二つのキャンプ地の間の緩衝地帯を横切ってくるのを観察していた。船長を待ち受ける間、セインは焚火に背を向けて立っていた。その場所だと
丘の上の二つのキャンプ地にはいくつかの火が焚かれていたが、他に人影は見えなかった。下の方の湿地に陣取った非武装のアウトランダーたちだけが、無警戒に動き回っていた。これが、不時着から三時間弱の情勢だった。
カリーがセインの目前で歩みを止めた。傲慢だが整った顔には、怒りがにじんでいた。
「きみは勝手に自分の隊を動かした上に、わたしへの事後報告すら怠っている」とカリー船長が口を切った。
「そちらの階級はわたしより高いわけじゃない。特に報告する必要も見いだせなくてね」とセインが答えた。
船長が薄ら笑いを見せた。「必要はあるさ。たぶん根拠はお見せできると思うが」
「ほう。見せてもらいましょうか」
「まず、われわれの置かれている状況を思い出して欲しい」とカリーが言った。「宇宙船は二度と飛び立てないだろうから、われわれは数世紀単位で島流しになったわけだ。そうなると、アウトランダーがどういう反応を見せるかは火を見るより明らかだ」
「アウトランダーどもは二百年もの間、《テクノグレーション》を憎み、自分たち流の古風な社会を築ける惑星を切望し続けてきた」とカリー。「そして、今まさにそれが実現したわけだ。この状況下では、やつらが《テクノグレーション》の権威に従わなくなることは充分に考えられる」
「なるほど?」とセインが言った。「つまりこの惑星における《テクノグレーション》の崩壊を防ぐため、わたしの協力が欲しいというわけですな?」
「きみがわたしの指揮下に入ってくれれば、船員と警備隊員の両方の力が損なわれることなくわたしの物になる」とカリーが唇を歪めて熱弁した。「だがきみの協力があろうと無かろうと、《テクノグレーション》は絶対だ。断じてアウトランダーの好む暗黒時代への逆行は許されない」
「そこに異論はありませんね。わたしもあんたも、《テクノグレーション》を望んでいる。問題はただ一つ、どっちが指揮を執るかだ」とセイン。
「われわれの階級は同じだが、その由来には若干の違いがある。きみの地位は、人を殺す能力によって獲得したものだ。《テクノグレーション》への忠誠度ではなく」
「そう。そのとおりだ」とセインは肯定した。「わたしは即物的な便宜主義者だ。一方あんたはお上品な理想主義者だ。だが、どちらも同じことだ。同じ理想を実現するための方法が違うだけだ」
「とにかく、わたしの要求は先ほど言ったとおり、きみたち宇宙警備隊員が大人しくわたしの指揮下に入ることだ。だが、いざとなったらこちらの人数がきみたちの倍近いことを思い出して欲しい。わたしの部下はみな命を惜しまない」カリーの顔に再び酷薄な表情が浮かんだ。「きみに選択の余地はないと思うが」
その体制は長くは続かないだろう。裏切り。背後からの狙撃。それで終わりだ。
「話はそれだけかな? 当然、その案は呑めないな」
カリー船長の顔から表情が消えた。「きみは唯一の機会を無駄にした」
吠え声が再び森のほうから聞こえた。
セインが言った。「立場が逆ならあんたも同じ答えをしただろうさ。それは心底から理解してもらえると思うが。……ところでアウトランダーどもは丸腰だから、森から何かが出てきたら、守ってやるのにわれわれ両方の力が必要になるかもしれない。夜明けまで休戦しないか?」
カリーは冷淡な態度を崩さず、相手をじっと見つめてから答えた。「いいだろう。今夜は休戦だ」
そしてカリー船長は自陣へと戻って行った。
セインはパトロールを強化することにした。隊員のうち二人だけをキャンプ地に残し、闇を貫くサーチライトを持たせてアウトランダーのキャンプ地の周囲を警戒させた。カリーの部下の船員たちは主にキャンプ地の東と南を担当し、より経験豊富な警備隊員たちは森に面した西と北を守った。
警備隊員たちと船員たちは無言でパトロール任務を遂行した。遠からず殺し合うことになる男たちは沈着冷静に観察し合った。同じ階級の士官が二人存在している状況が長くは続かないことを、誰もが理解していた。
セインは自キャンプに戻ろうと、点在するアウトランダーの焚火の間を通り抜けて行った。アウトランダーの中に成人男性はあまり見られなかった。生存者の大半は、船が壊れ始めた時にアウトランダーのリーダーが安全性の高い中枢部に避難させた女・子供だった。
二番目の焚火のそばで、一人の老人がセインに歩み寄り、話しかけてきた。やせ細った体躯。灰色のあごひげ。太くもじゃもじゃの眉毛の下には青い眼が鋭く光っていた。
「セイン隊長――少々質問させていただきたい」
セインは足を止めた。「何でしょう?」
「わしの名前はポール・ケネディ。植民者を代表して話したい」と老人が言った。「カリー船長はわしらから武器を取り上げた。船長はここに全くもって《テクノグレーション》式の植民地を作ろうとしているが、わしらがそれに反対できなくするためだ。過去二百年もの間、《テクノグレーション》は人間をロボットに変えることにばかり集中してきた。わしらはその勢力圏から出て、人間らしく生きるチャンスを得られるはずだった」
「で、質問というのは?」とセイン。
「あなたは宇宙警備隊員だ。警備隊にはまだ男というものが生き残っていると聞いている。あなたなら、ここにもう一つの蟻塚を作りたくないというわしらの気持ちを理解してくれると期待していたのだが……」
セインにはよく理解できた。だが彼は三十年間に及ぶ慎重な戦いの結果、ゴールまでほんの一歩のところまで来ていた。
「《テクノグレーション》は絶対だ」
「そう来ると思っていた」とケネディは口調を全く変えずに言った。「だがその予想が外れることを期待していたのです」
その時、辺りをはばかることのない鳴き声が聞こえ、笑いながら走る少年に追われて何か茶色と白の生き物が焚火のそばまで疾走してきた。セインはその生き物を凝視した。
犬だった。
彼が犬を見たのは三十年ぶりだった。《テクノグレーション》はペットを飼うことを計画経済における不要な浪費であり公共の利益に寄与しない行為だと見なして禁止していた。
「ペットに関する禁止令は承知しているが」とケネディ老人。「子供には愛し、愛されるためにペットが必要だ。あの犬は間もなく仔犬を産む。残っているのはあの犬と、ローニーの仔猫だけだ」老人はセインの目をじっと覗き込んだ。「よもやどうこうするつもりはあるますまいな?」
その犬は円を描いて戻って行った。黒髪の若い娘が別の焚火の方から声をかけた。「ビンキー! おいで!」
犬は命令に従った。尻尾が少しうなだれているようだった。娘はセインの方向をぼんやりと見つめてから、犬を連れて闇の中へと消えて行った。少年もそれに続きながら娘に話しかけた。「ブランシュ、どうしたの?」
セインは彼らが去って行くのを見ていた。犬と少年という情景は、ずっと昔、犬と遊んでいた一人のアウトランダーの少年のことを痛ましいほど鮮明に思い出させた。必要に迫られ、忘れようと努力していた過去を……
危険な弱点を心から追い出し、セインは老人に返事をした。
「あなたたちアウトランダーは、地球を離れたからと言って《テクノグレーション》の手中から逃れたわけではない。あなたが踏みしめているこの惑星も《テクノグレーション》の世界だ。命令には従うことだ。ペットについては……好きにすればいい。少なくともわたしに関して言えば、関与するつもりはない」
セインはケネディ老人の前から歩み去り、自キャンプに戻り始めた。彼が通ると周囲のアウトランダーは口を閉じた。沈黙の海はセインと一緒に移動して行った。《テクノグレーション》の役人に対する典型的な反応だった。
最後の焚火の向こうに幼い娘がいた。女児はセインに背を向け、草むらの中に跪いて何かをしていた。近づいて見てみると、彼女は大人になりかけた仔猫の首に白い紐を結ぼうとしているところだった。猫はされるがままに辛抱強く座っていた。女児はほどけないような結び目を作ろうと、不器用な指で紐と格闘しながら猫に語りかけた。
「――森の中のやつは猫が好物かもしれないからね。だから紐でつないでおくのよ。トミー、お前はこの惑星でたった一匹の猫なんだから……」
セインの影になって、女児は彼を見上げた。黒い巻き髪が揺れ、灰色の目が制服を捉えてぎょっと見開かれた。彼女は驚いている仔猫を掴み上げ、両腕で抱きしめた。紐がほどけて地面に落ちた。
「お願い……トミーは何も悪いことはしないから……」
二人の女と一人の男がセインを強張った顔、憎しみに満ちた目で見つめていた。《テクノグレーション》の規則に従うのであれば、密輸された動物は見つけ次第速やかに処分すべきだった……
「きみの猫を傷つけるつもりはないよ」とセインは言った。そして焚火のそばのアウトランダーたちに皮肉な笑顔を見せて、「わたしはそんなお節介屋じゃない」
セインは自分のキャンプの直前でカリーに出会った。カリーは二人の護衛を連れていた。彼らは無言ですれ違った。
時間は過ぎて行った。その夜は地球の十月ごろの涼しい夜を思わせたが、夜空に広がる星座は見慣れない形をしていた。アウトランダーたちは焚火の火勢を抑え、森の中のものどもは奇襲でも企んでいるかのように静まりかえった。二度ほど風向きが変わって森から匂いが流れて来ると、そのたびに犬が不安そうなうなり声を上げ、ブランシュと呼ばれた女に静められた。
セインはキャンプ地の南側の防衛線方へと向かった。西の地平線からは昇りつつある月の光が差し始めていた。怪物どもが北側を襲ったのはその時だった。
野獣どもは突然森から躍り出て悪魔のような吠え声を上げながら、リーダーに率いられて津波のようにキャンプ地に押し寄せた。そいつらは緑色をしており、草原の中では草に紛れてほとんど視認できなかった。巨大な虎のように身を低くして駆け、大蛇のような長い首を前に突き出し、ハイエナを思わせる頭部には黄色い目がぎらついていた。
宇宙警備隊員たちが
前衛の怪物どもが倒れ、リーダーを失った群れの動きは鈍り、猛攻撃は一時ゆるんだ。だが後方の怪物が命令をするように吠え、他のものは再び地球人に殺到した。
誰もが北側の防衛線での攻防に気を取られていた時、犬が、自分を抱いていたアウトランダーの腕から抜け出して駆けだした。犬は北からの襲撃を無視し、革紐を引きずって南に消え、何かに警戒するかのような激しいうなり声を上げた。セインはそちらにサーチライトを向けた。
五頭の怪物が無警戒の歩哨の背後に音も無く迫っていた。
セインの
セインが間近の一頭のそばにたどり着いた時、そいつは死んでいた。もう二頭もそうだった。
彼は別のことに気づいた。死んだ怪物の力なく開いた顎から、歯が覗いていた。切っ先の鈍い歯ばかりが均一に並んでいた。
恐ろしげな外観に反して、怪物どもは草食動物に過ぎなかったのだ。
三人の歩哨が何とか起き上がろうとしていた。見たところ怪我はしていないようだった。アウトランダーのキャンプ地の北側に対する襲撃は、始まった時と同様に唐突に終わった。怪物のリーダーは防衛線上に死体となって横たわり、生き残った怪物たちは命からがら森に逃げ込んだ。辺りは静かになった。静寂を乱すのは、セインが殺した怪物のそばでうなり声を出す犬だけだった。
セインは犬にサーチライトを向け、そしてもっとよく見るために近くへ寄った。
犬は盛んな闘志で噛みつき、引き裂き、何かと戦っていた。しかし彼の目には何も見えなかった。全く何も。
「ビンキー!」
黒髪の娘が近づいて来た。白い寝巻を着た風貌は亡霊じみて見えた。犬は見えない何かに最後の一撃を食らわしてから向き直り、怪物に倒された三人の歩哨を見た。そして信じられないものでも目にしたかのように凍り付いた。
猛犬ビンキーは威嚇のうなり声を上げ、そして何かに攻撃を仕掛けるべく身を屈めた。
「ビンキー! おやめ!」娘は差し迫った声で叫んだ。「来い! こっちに来い!」
犬は躊躇し、そして従った。男たちの間を俊敏に駆け抜けながら、犬は歯を剥き出してうなった。娘は犬のリードを掴んだ。娘と犬は走ってキャンプ地の奥へと消えて行った。
カリー船長が二人の護衛とともに暗闇から現れ、怪物の死体を照らした。
「三頭も通してしまったのか」と言いながら彼は北側の防衛線を一瞥したが、歩哨のサーチライトに照らされている森の端に動物の気配は無かった。「とはいえ、負傷者は出ていないしこれ以上の襲撃も無さそうだ」
彼はセインを冷たく思慮深い目で見つめた。「つまるところ、キャンプは危険な状態ではないようだ」
この言葉の含意は明らかだった。もし怪物が脅威でないのならば、カリー船長は宇宙警備隊員の協力を必要としないということだ。その場にいた三人の歩哨は船員だったし、船長はさらに二人の護衛を連れていた。人数は六対一だった。
「
口を利いたのは歩哨の一人――ベラムという名で、船の薬剤師をしていた男――だった。彼は急いで船長の元に近寄った。そのすぐ後ろには二人の仲間が控えていた。
カリーはいらついた様子で、噛みつかんばかりに返事をした。「何だ?」
「わたしは新たな危機を認知しました。対処するためには団結が必要かと思います。このキャンプ地は狂犬病に汚染されているのです」
「狂犬病だと?」
「ハッ、そうでなのです」とベラム。「アウトランダーの犬が防衛線で発作を起こし、われわれ三人を襲おうとしたのであります。あの犬は狂っています」
「なぜ発作だと思う?」とセインが聞いた。
「あんたもその目で見たでしょうが」と言いながら、薬剤師は顔をセインの方に向け、セインは初めてこの男と目を合わせた。
その両目には生命が欠けており、死人の目のようだった。
セインは残り二人の歩哨の顔を照らした。ベラムと同じだった。三人とも、歩く死人のようだった。
「お前、怪物にやられて怪我をしたのか?」と彼はベラムに質問した。
ベラムは返事をためらった。何かを疑っているようだった。「していませんが、なぜそんなことを聞くんです?」死んだ目がセインを見つめた。
セインは、カリーの態度から、三人の歩哨がこれで普段と変わらないのだろうと察した。カリーの命令を実行するだけの自動機械――典型的な船員だ。
「セイン、議論すべきは狂犬のことだ」とカリーが言った。「わたしの部下の健康のことではない」
そして薬剤師に話しかけた。「わたしの記憶では、狂犬病とは前《テクノグレーション》時代の病気で、致死的になることもある。そうだったな?」
「感染した動物に噛まれると確実に死に至ります。また、苦痛は長期に及びます」とベラム。「船には予防薬も治療薬もありません。あの犬は確実に殺さないといけません。アウトランダーのキャンプ地に他にも動物がいれば、全てひっくるめて殺すべきです」
「犬が狂犬病だとすれば、なぜアウトランダーは誰も噛まれていないんだ?」とセインがカリーに言った。「はっきりするまで紐でつないでおくなりして、様子を見るべきだ」
「そもそもその犬は法規に反して密輸されたものだ」とカリー。「わたしが存在を認知していれば、すでに処分しているところだ」
彼はセインを無視してベラムの方に向き直った。「お前たち三人でアウトランダーのキャンプ地を端から端まで捜索しろ。全ての動物を殺して、持ち主の名前を報告しろ」
三人は出発し、キャンプ地の近い方の端から捜索を始めた。セインはそれ以上の異議を唱えなかった。彼はアウトランダーというものをよく知っていたので、丘の上で声高に行われていた議論が立ち聞きされており、議論の終わる前に彼らが犬をどこかに逃がしていることは確実だと思ったからだ。実際、このような問題に関してアウトランダーは実に有能だった――カリーの部下たちは結局ビンキーを発見できなかったのである。
振り返ったカリーの顔には満足感があった。彼は二人の護衛を伴って自分たちのキャンプ地に戻って行った。セインは微かに笑った。カリー船長は多くの先人たちと同じ致命的なミスを犯していた。彼は自分が勝ったことを当然のことと思っていたのだ。
カリーが遠くに離れる前に、一人の男が北側の防衛線から息せき切ってやって来た。そしてカリーに呼びかけた。「
セインは我が目を疑った。その男の名前はゴーマン、自分の部下の一人だった。
カリーは足を止め、ゴーマンは追いついて話し始めた。
「今夜、武器が隠されていないか船内のアウトランダーの領域を検査していた際、第十三区画で小動物を目撃しました。おそらく、ごく若い仔猫だと思われます。よろしければ本官も動物を殺しに行く班に志願したいのですが」
カリーが何か言ったが、気まぐれな風のせいでその言葉ははっきりと聞こえなかった。
「――そしてキャンプ地の捜索が終わりしだい船に連絡するから、詳細を犬狩り部隊に報告した上で、犬を狩り出すのを手伝ってもらおう」
ゴーマンは犬狩りに加わるために戻って行った。カリーは少しの間その場に立ち止まり、それを眺めていた。喜ばしい驚き、そして勝利の色。カリーがどんな表情をしているのかセインには容易に想像できた。
彼はゴーマンが通り過ぎようとするのを呼び止めた。
「お前、さっきの戦いで頭でも打ったのか?」
「いいえ?」そう答えたゴーマンからは先ほどのベラムと同様の警戒心が伝わってきた。「なぜです?」
「なぜ俺でなく、カリーに報告を?」
返事は迅速で、機械的だった。「動物がいたのが船の中だったからです。それに動物は殺さないとなりません。狂犬病ですから」
「もういい。行って、カリーの部下を手伝ってやれ」
彼はそう言って、ごちゃごちゃになった頭の中をまとめようと努力しながら、ゴーマンが走っていくのを眺めた。
あの草食獣どもは理由もなく襲ってきた。そして
当面、できることは何もなく、セインはしばらく状況の進展を待った。月が逆行軌道で非常な速さで昇ってきた。その速さは目で見て動いているのが分かるくらいで、そしてその明るさは地球の月一ダース分にも匹敵した。地平線から完全に姿を現した月は冷たい銀色の光で辺りを満たした。キャンプ地も金属的な光でくっきりと照らし出され、サーチライトは不要になった。
捜索隊はアウトランダーのキャンプ地を半分ほど捜索し終わったところだった。ゴーマンも隊に加わっていた。彼らはアウトランダーの所有物やテントを手早く能率的に漁り、女たちの抗議を無視し、男たちには
彼らは例の女児を見つけた。
仔猫を抱きかかえた彼女は、月明りの下に小さな影を作っていた。ゴーマンがそれに気づいてベラムを呼び、ベラムが顎で合図をした。捜索隊のうち二人が女児の方へ向かった。
ペットを見られたことに気づき、彼女は猫を抱きかかえたまま走って逃げようとした。白いリードがひらひらと舞った。ベラムが追い付き、肩を掴み、抱き上げて止めた。彼は仔猫をひったくり、地面に激しく叩きつけた。猫は苦痛のためか細い悲鳴を上げ、女児は猫のもとに辿り着こうともがき、むせび泣き、狂乱した。
「やめて……殺さないで……」
ゴーマンの
ゴーマンとベラムは機械人形のように踵を返し、キャンプ地の残りの部分の捜索に向かった。女の子は少しの間その場に立ち尽くし、ぼんやりと前を見ながら「トミー……トミー……」と低い声でつぶやいていた。それから銃痕にふらふらと近づき、どうにかして猫が見つかるだろうと期待しているかのように、そのそばにひざまずいた。
セインは妙に心を乱され、目を逸らした。彼は自分がホルスターに収めた
月が高く昇った。犬を探しに行くべき時だ。……ひょっとすると今夜、怪物と一緒に実際何かがやって来たのではないだろうか。あの犬に口が利けたならそれを教えてくれるのではないだろうか? セインにはビンキーが狂犬だとはどうしても思えなかった。
焚火のそばに立った黒髪の女が、全身から熾火のような憎悪をたぎらせながら、女児と捜索隊を苦々しげに見つめていた。セインと向かい合った時、彼女は怒りで息もつけないほどだった。
「あの子の両親と兄弟は……事故の時に……全員死んだわ。残ったのは仔猫だけだったのに」
「犬はどこです?」とセイン。
「自分で探したら?」
「あの犬です。どこにいるんです?」
「自分でお探しなさい」彼女は挑発的に繰り返した。「見つけて、殺せばいいでしょう。できるものならね!」
セインは彼女の脇を通り過ぎた。知りたいことは完全に分かったからだ。彼女は犬の居場所を隠そうと努力したが、目は正直だった――彼女は宇宙船の方を見るのを止められなかったのである。
セインの進路は女児のそばを通ることになった。彼女は草地の、
その視線は一瞬だけセインに投げかけられた。筆舌に尽くしがたい憎悪、癒しがたい苦悩がこもっていた。そして月光が涙を冷たく照らし出していた。
宇宙船に着いたセインは後ろを振り向いた。ゴーマンが走って追って来くるのが見えた。例の三人もそれ合流しようと、キャンプ地の端から急いでやって来るところだった。
船員のキャンプ地の方を見ると、カリー船長もセインの方を注視していた。彼は部下を伴って進んで来た。彼らが集まると六対一になる。
休戦は終わりのようだった。
犬は、一番遠くの尾翼の陰にいた。とげの多い低木につながれた身体は、闇に紛れてほとんど見えなかった。
ビンキーは目の前で足を止めた人間をしげしげと見つめた。両耳が質問をするように前を向き、尻尾がためらいがちな友情を示して振られた。セインが声をかけると犬は低く吠えて返事をし、大喜びで尻尾を激しく振った。自分を放しに来たと思っているのだ……
セインは子供のころの経験から犬のことはよく知っていた。この犬はどう見ても狂犬でなかった。
ゴーマンが足早に草を踏み分けて来る音を捉えた彼は、
尾翼のところまでやって来たゴーマンは、
「やめろ! 動くな!」とセインが命令した。
ゴーマンは躊躇し、死んだような目で相手を見据えた。「それは狂犬です……殺さなくては」
「狂犬だとしても、殺すのはいつでもできる。しばらくは様子を見るのが先決だ」
その疑念はゴーマンに関する限りほとんど確実になってきた。ゴーマンの銃口はセインの方を向く傾向を見せた。
「なぜです?」
「俺の見たところ――」
ゴーマンが発砲した。予期していたとはいえその唐突さに対応し切れなかったセインはビームの熱さを感じた。心臓を狙って撃ち返すとゴーマンは倒れ、二度と銃を撃つことはなかった。空を見上げた両目の死にっぷりは、死ぬ前と比べて特に変わらなかった。
ビンキーは綱を引きちぎってでも死人に突進しようともがいた。セインは死人に歩み寄り、その頭のすぐそばの草地を見た。手のひらほどの領域が見えない何かの重さで急にへこんだ――かと思うと何かが彼の膝を打った。
セインはそれを蹴りつけた。感触からすると、冷たく、ゴムのように弾性のある、触手のようなものだった。
彼は後ずさりし、狙いの付けようのない銃を左右に振った。そのものは再度跳躍した。おそらくは人間の頭の高さまで。そのものは不可視だった。月光に照らされた草地のほか、何も見えなかった。そのものはセインの背後に回り、跳躍の準備を整えたようだった……
ビンキーは縛めから逃れようと、めちゃくちゃに暴れ、歯をむいて甲高いうなり声を上げた。セインは
犬はセインの方に飛びかかった。その耳は伏せられ、目は燃え上がり、そして鋭い歯がセインの喉元に突き立てられた。彼の
だがセインは過去三十年の間に一度もやらなかったことをやった。自分の命を他者に委ね、発射ボタンは押さなかった。
冷やりとする触手が顔面を鞭打った。犬の顎が彼の頬の間近で噛み合わされた。何かが砕けるような激しい音。熱い呼気。犬はセインから離れて、何かを前足で地面に押さえつけ、引き裂いた。憤怒と勝利の渦巻く感情で、ビンキーは鼻を鳴らし、そしてうなり声を上げた。
セインはビンキーに屈み込み、片手で撫でながらなだめるように話しかけた。犬は少しは落ち着いたが、その胸の奥ではまだ心臓が激しく鼓動していた。セインは犬に殺されたものに目をやった。
そのものは死ぬと同時にゆっくりと乳白色に変化し、見え始めた。毛のない巨大グモのような形をしていた。
それは寄生生物だった。宿主の身体ばかりか精神まで奪ってしまう、高度な知性の寄生生物だった。従来この生物は森の怪物だけに寄生してきたが、人類の到来により、さらに高等な宿主を得る機会に恵まれたのである。この寄生生物には単独で移動する能力がないわけではなかったが、怪物のリーダーを操って自分を防衛線の内側に運ばせたことから、長距離を動けなかったことは明らかであった。
犬は、動物の鋭敏な第六感で寄生生物の気配を察知したのである。敵意に満ちた、異質な気配を。ビンキーは寄生生物を見ることもできていた。犬にとっての可視光の範囲は人間のそれより若干広いからである。おそらく猫のトミーも寄生生物には気づいていたが、不幸にしてそれを示す機会を奪われてしまった。
ビンキーは操られた人間を嫌悪していた。彼らは人間の形はしているが、すでに人間ではなくなっているからである。ベラムを支配していたものは、薬剤師の精神に蓄えられていた知識を活用し、キャンプ地に狂犬病があると主張し、自分を察知することのできる動物を人間に排除させようと画策したのである。
ゾンビたちの重たい足音が宇宙船の向こうから近付いて来た。カリーは斜面の上方からセインに近付いた。護衛たちは敵の横に回った。明るい月の光がセインの顔を照らした。
彼は犬と一緒に立ち、自分を殺しに来た男たちを注視していた。セインとビンキーだけが寄生生物の存在に気づいていた。もし彼らが殺されれば、キャンプ地は寄生生物の侵入を許すことになる。そうなれば新世界は歩く死人の世界になり、アウトランダーの最後の子供が消費し尽くされて倒れるまでその光景が続くことだろう。
「カリー」とセインは呼びかけた。
静かな夜の空気の中、会話にはさほど大きな声を出す必要はなかった。だが姿を現したカリーの表情は酷薄で、月光に照らされた傲慢な銅像のようだった。
「カリー、一分だけ時間をくれ。俺が何を見つけたのか話す」
カリーは返事の代わりに部下に命令した。
「犬もやつと一緒だ。両方殺せ」
そう言いながらカリーは
セインは地表に倒れ込みながら発砲した。カリーの傲慢な顔面は原子分解されて無に帰し、その武器が吐き出したビームは足元の地面に虚しく穴を開けた。護衛のうち、手の速かった方のビームがセインの頭上を蛇のように舐めた。だがその男も上官の後を追って倒れた。もう一人の護衛が最初にして最後に発射したビームは月に向かって飛んで行った。
続いてゾンビたちが尾翼のあたりまでやって来た。死んだ目をした彼らは、問答無用で青白い業火の弾幕を張った。
ビンキーが敵に突撃し、それを迎撃せんとする一筋のビームが猛犬の身体をかすった。セインが自分に肉薄した二人目のゾンビを殺したとき、ベラムの頭の無い死体がようやく倒れた。三人目は、撃ち倒されながらもセインのあばらを白熱した鉄のようなビームで貫いた。心臓が二回鼓動するかしないかのうちに全てが終わり、夜は再び静かになった。
セインは銃をホルスターに戻した。犬は寄生生物を探して一人目のゾンビから二人目のゾンビへと移った。肩が流れる血で染まり、流れ落ちて草を汚した。
狩りが終わったところで、セインは肩の傷を診ようと犬を呼んだ。重傷ではなかったが、痛みは激しそうで、出血も多く、治療の必要があった。彼は船の周りを半周ばかりして、ビンキーをアウトランダーのキャンプ地が見降ろせるところまで連れていった。犬は痛みのため哀れっぽく鼻を鳴らし、人間に優しく撫でられるとその手をなめた。
「お前の仕事は一段落した」とセインは言った。彼はキャンプ地の方向――黒髪の娘が待っているのが見えた――を指さした。「行け。飼い主のところに戻るんだ」
ビンキーは自分を治療してくれる人々の元へ、足を引きずりながら駆け下りて行った。
セインの脇腹は燃えるように熱かった。流れ出た血は暖かく、湿ったシーツのようにべたついた。彼はシャツを臨時の包帯にして、宇宙船の尾翼に寄り掛かった。
全てが終わった。寄生生物の性質は解明され、それらが根絶されるまでの間、人々は薄い金属のヘルメットをかぶっていれば良いはずだ。その数はさほど多くないようだった。数百頭の怪物のうち、寄生されていたのは一ダース程度だろう。そして、新たに寄生生物が現れても犬が警告を発してくれる。
全てが終わった。カリーが丘の頂上で蒸発し、セインに挑戦する者は他にいなかった。少年時代――寒冷な高原に住むアウトランダーの少年で、《テクノグレーション》を憎んでいたころ――とは何という違いだろう。セインは十九歳の時、難攻不落の《テクノグレーション》を憎む無益さにようやく気付き、許容し適応すべきことを悟ったのである。誰よりも情け容赦ない者が誰よりも高い地位を得られるシステム。彼はもう少し強ければ自分を踏みにじっていたであろう者たちを踏みにじり、一段一段階段を昇り、かつては敵対していたシステムに着実な勝利を収めてきたのだ。
そして今――最後の勝利を得た。誰も自分に挑戦する者はいない。《テクノグレーション》の厳格な規律上、誰も自分に逆らうことはできない。
究極の勝利。人生の終わりまで、権力の安泰が保証されている。
これが彼の
朝日が顔を出し、暖かな日光が冷たい月光を和らげた。夜明けが合図になったかのように、宇宙船は身震いし、何分の一インチか浮いた尾翼から土がぽろぽろと落ちてかすかな音を立てた。反重力プレートはほとんど消耗し尽くされ、数分もすれば船は倒れるだろう。
夜明けのアウトランダー野営地。犬の肩に包帯をする黒髪の娘の周りに、子供たちが集まっていた。その声はセインのところまで聞こえた。この上なく喜びに満ちた声だった。「ビンキーが帰って来た……ビンキーが帰ってきた……」
一人の女児だけが人の輪から外れていた。あまりに小さく縮こまっていたので、セインはその姿を見逃すところだった。彼女は他の子供たちが犬の周りに群がっているのを見つめていたが、その仲間に加わるために動こうとはしなかった。ただ、手だけが動いて一端の焦げた白い紐を撫でた。
セインは勝利感と満足感が急速に流れ去り、苦々しい思いがそれに取って代わるのを感じた。
セインは計画し、戦い、殺し、そして
そして
傷口が開き、焼け付くような痛みと熱い血潮があふれ出すのを感じながらも、セインは宇宙船のタラップを駆け上がった。今にも宇宙船が倒れて死ぬかもしれない。自分は大馬鹿者と呼ばれるのにふさわしいと思いながら。
セインは自分のキャンプ地で、宇宙警備隊の戦闘用ヘルメットを抱えて、焚火の跡のそばに立っていた。そして例の子供が一人で丘を登って来るのが見えた。誰かが彼女の顔を洗ってやったらしく、涙の痕はなくなっていた。娘はセインの前で足を止めた。堂々と顔を上げた彼女は、内心の怯えをほとんど表に出さなかった。
「ローニー。君を呼んだのは、昨日の夜のことを謝るためだ」
信じていない様子が見て取れた。その顔は彫刻のように冷たく、取りつく島がなかった。娘は返事をしなかった。
セインは彼女の前にヘルメットを置いた。六匹の小さな仔猫が中に寝そべっていた。茶色、白、そして灰色の産毛のかたまり。ピンク色の口は餌を求めていた。
信じがたい光景に、娘の両目が大きく見開かれた。
「まあ!」
娘は猫に駆け寄ろうとしたが、再び不信に捉われて足を止めた。
「母親もなく、腹を空かせている」とセインは言った。
娘は動かなかった。
「きみのものだ、ローニー。面倒を見てやってくれ」
「ほんとうに?」
娘はようやく仔猫たちを抱き上げた。膝の上に乗せた小動物に屈み込み、優しい声で愛情深く話しかけた。その顔は輝いており、苦痛も憎悪の色も残っていなかった。
ケネディ老人が、自分が呼び出された理由も、夜明けに《テクノグレーション》が崩壊したことも知らずにやって来た。もちろんセインは全ての権限を放棄するつもりはなかった。そして彼はアウトランダーの代表に一つの重要事項を要求するのを忘れなかった。ビンキーが子供を産んだら一匹は提供することである。
知性に富んだ犬との交友は、将来的には慰めになるだろう――自分が一つの世界を手に入れ、そして裸足の少女のためにそれを放棄した朝を思い出すたびに。
終わり