七週間に渡り、コンステレーション号は八千人の植民者を乗せて超空間を突き進んでいた。狩られる者の臆病さで通信機器は沈黙を守っていたが、その主エンジンはうなり、轟いていた。アイリーンが聞いたところによると、操縦室では計器の針が昼夜を問わず「危険」の一歩手前をうろついているという話だった。
アイリーンはベッドに横になったが、眠れずにいた。エンジン音が絶え間なく響き、船体は微かに歌うように振動していた。「今のところは安全だ」と彼女は考えた。「アシーナにはたった四十日で着く」
自分たちを待ち受けている新生活のことを考えると、彼女は眼が冴えてきた。アイリーンは身体を起こし、ベッドの端に腰掛けて明かりを付けた。夫のデイルはいなかった。X線室の装置が不調だかで呼び出されたのだ。息子のビリーは眠っていた。茶色の短髪と、彼のお気に入りのテディベアの鼻づらだけが布団から覗いていた。
アイリーンは息子を起こさないように、優しく布団を掛けなおした。誰もが恐れていたことが起こったのは、まさにその時だった。
船尾からひどい衝撃が走り、爆発音が耳を聾した。宇宙船は暴力的な外力に抗しきれずによろめいた。船の屋台骨が悲鳴を上げ、明かりが不安定にゆらめいて消えた。
暗闇の中で、アイリーンは自動防衛システムがズドン…ズドン…ズドンと矢継ぎ早に発砲する音と、船内の主要区画を分ける隔壁が空気漏出に備えて閉鎖される音を聞いた。新たな爆発が船首で起きたとき、隔壁はまだ閉まっていた。そして、静寂が訪れた。物音ひとつせず、動くものの気配もなかった。
彼女は恐怖に捉われた。冷たく、現実感を伴わない考えがゆっくりと心の表層に浮かび上がってきた――自分たちはゲルン人に捕捉されたのだ!
電灯が復活したが、光り方は弱々しかった。他の船室からは人々の不安なざわめきが聞こえてきた。アイリーンは震える手で不器用に服を着た。デイルがそばにいてくれて、これは大したことじゃない、ゲルン人は関係ないと言ってくれるのを切望しながら。
小さな船室はやけに静かだった。身支度を整えたころ、彼女はその理由に気づいた。空気循環システムが停止しているのだ。おそらく動力不足によるものだ。その意味は明確だった。死だ。コンステレーション号では八千人もの人間が呼吸をしているのだ。
廊下の各所に取り付けられたスピーカーが、甲高いブザー音を鳴らした。そして、レイク少佐だと思われる声がスピーカーから流れ始めた。
「十日前、地球はゲルン帝国から宣戦布告を受けた。本船はゲルンの巡洋艦二隻から攻撃され、
乗客諸君は船室から出ずに指示を待つように。その場から離れてはならない。混乱を避け、生き延びる可能性を少しでも上げるためである。繰り返す。船室から出てはならない」
放送は終わった。アイリーンは身じろぎせずにレイクの言葉を反芻した。“生き残った士官は私だけだ”……。
父はゲルン艦の砲撃で殺されたのだ。
彼女の父は、アシーナを発見したダンバー探検隊の副隊長だった。その知識はアシーナ植民計画に大いに生かされるはずだった。彼はコンステレーション号では士官として乗務していた――そしてゲルン艦は士官のいる区画をブラスターで吹き飛ばしたのだった。
アイリーンはベッドのふちに腰を下ろして、冷静になろうとした。自分と、全ての植民者の人生計画が完全に潰えたという事実を受け容れようと努力した。
アシーナ植民計画は失敗に終わった。こういう結末は当然誰もが覚悟していた。コンステレーション号は極秘のうちに出航準備を整え、太陽系を取り巻くゲルンのスパイ船の輪が途切れる隙を一ヶ月も窺って出発した。そして無線封鎖をした上で全速で航行してきた。そのためゲルン艦はパッシブ型の装置ではコンステレーション号を検知できないはずだった。たったの四十日かそこらの行程を乗り切れば、アシーナの緑の処女地が彼らを受け容れてくれるはずだった。アシーナはゲルン帝国の外縁から四百光年の距離にあった。ゲルン人に気づかれるまでには充分な年数があるはずだった。防備を整えるのに充分な年数が。アシーナの豊富な資源があれば、枯れ果てた地球のために宇宙船や兵器を作り、膨張し続ける冷酷な巨人であるゲルン帝国に対抗することもできるはずだった。
アシーナ植民計画の成否には、地球の命運が賭けられていたのだ。地球は考えうる限りの予防策を取ったが、ゲルンのスパイ網は何とかしてコンステレーション号を察知したのだった。そして、冷戦が熱戦になった今、ゲルン艦の砲撃が計画を水泡に帰したのだ……
八千人の生命を脅かし、ひいては地球の命運を揺るがす砲撃のあいだ、ビリーは幼い少年らしく眠っていたが、とうとう吐息をもらし、身動きした。
アイリーンは息子の肩を揺さぶった。「ビリー」
目を覚ました息子は、どう見ても小さく、幼かった。アイリーンは苦悶し、心中で祈った。「ああ神様――ゲルン人からこの五歳児をお守りください!」
ビリーは薄暗い明かりの中で母のただならぬ表情に気づいた。眠気は一瞬で醒めた。「どうしたの? ママ。何を怖がっているの?」
安易な嘘をついても仕方がなかった。
「ゲルン人に見つかって、船を止められてしまったのよ」
「そう」とビリーは答えた。その態度は、いつものごとく、二倍は歳を取っているかのように落ち着いており思慮深かった。「それで……ぼくらは殺されるの?」
「着替えなさい」と母が言った。「急いで。パパが戻ってきたら、すぐに言われたとおりにできるように準備しておくのよ」
廊下のスピーカーが再びブザー音を出したとき、母子は身支度を終えていた。レイクの声が流れた。その声は悲愴だった。
「本船には空気再生装置を維持するだけの動力が無いため、このままでは二十時間以内に窒息死することが確定的である。この状況では、生き延びるために、わたしは降伏勧告の条件を呑まざるを得ない。
今からゲルン艦の艦長が諸君らに話す。彼の命令に逆らってはならない。他の選択肢は、死だけだ」
そして別の声が話し出した。早口で、厳格で冷たい口調だった。
「惑星アシーナを含むこの空域は、ゲルン帝国の領空である。この宇宙船は、戦時において、ゲルン領の惑星から資源を収奪する目的で故意に領空侵犯を行った。しかしながら、われわれはこの状況にも関わらず寛大な処置を取ろうと考えている。技術者または熟練工である地球人については、われわれがアシーナに建設予定である工場で採用する。その他の者については、われわれは必要としていないし、われわれの巡洋艦にそれだけの人数を運ぶゆとりはない。
履歴書に基づいて、お前たちを二つのグループに分ける。適格者と不適格者だ。不適格者は、最寄りの地球型惑星に一時的に置いていく。自室内の個人資産は持ち出しを許可する。食料品や必需品も充分に与える。われわれの巡洋艦は、適格者をアシーナに運んだら、引き返して不適格者を拾い上げ、地球に送還する。
グループ分けにより、家族が離れることもあり得るが、抵抗は許さない。ゲルン兵が間もなく諸君らの船室に行き、グループ分けを行う。命令には即時従え。抗議や質問は許さない。抵抗や反乱の兆しがあれば、以上の申し出は破棄され、われわれと諸君は別の道を歩むことになる」
この最終通告に続く沈黙の中、アイリーンは他の船室からの言葉にならない不安のざわめきを感じた。彼らの先行きには暗雲が立ち込めていた。今ごろはそれぞれの船室の中で、親と子が、あるいは兄弟同士が、今生の別れを惜しんでいることだろう……。
廊下に荒々しい足音が鳴り響いた。十人ばかりから成るゲルン兵の一隊が、軍隊らしい几帳面な速足でやって来たのだ。アイリーンは息を止めて待ち受けた。心臓が早鐘のように鳴った。だが足音は彼女の船室の前を通り過ぎ、廊下の端へ向かった。
彼女はゲルン兵と住人のやり取りをぼんやりと聞いていた。名前を聞く声、そして決まって「出ろ。出るんだ!」という声。一度だけ別のセリフも聞いた。「お前は適格者だ。指示があるまで室内で待機しろ。不適格者が出て行ったあと、ドアは開けるな」
ビリーが母親の手に触れた。「パパは帰って来ないの?」
「パパは……まだ来ないわ。もう少しすれば会えるはずよ」
アイリーンはゲルンの艦長が不適格者は私有物を持っていくことを許可すると言っていたことを思い出した。荷造りするのにわずかな時間しか残っていなかった……。
室内には小さめのカバンが二つあった。彼女は急いで自分と夫と息子が不適格者と判断された場合に必要としそうな物を詰め込んだ。だが何が本当に必要なのか、さっぱり分からなかった。服は冬物がいいのか? 夏物がいいのか? ゲルン艦の艦長は、不適格者を地球型の惑星に一時的に送ると言っていた。しかしそんな惑星があるのだろうか? ダンバー探検隊は五百光年に渡って宇宙を探検したが、地球型惑星は一つしか見つけられなかった。それがアシーナなのだ。
アイリーンが荷造りを終わったとき、ゲルン兵は彼女の船室のすぐ近くまで来ていた。厳めしく、ぶっきらぼうなゲルン兵が住人の名前を聞き、そして命令した。「出ろ。早くしろ!」と。女性の声が懇願するような口調で何かを言った。鈍い、何かを叩きつけるような音の後、ゲルン兵が言った。「部屋から出ろ。質問するな!」と。音から判断すると、住人の女性は辛うじてカバンを抱え、泣きながら廊下によろめき出たようだった。
そしてゲルン兵はアイリーンの船室にやって来た。彼女は息子の手をしっかりと握りしめて待ち受けた。心臓が高鳴った。傲慢なゲルン兵に弱気を見せまいと、彼女はしっかりと前を向き、かき集められるだけの精神力をかき集めて冷静を装った。ビリーは母のそばに立っていた。テディベアを小脇に抱え、五歳児の小さな身体の割には堂々としていた。目に見える怯えの兆候は、母と手をつないでいることだけだった。
ドアが乱暴に開き、二人のゲルン兵が入ってきた。
ゲルン兵は大柄で浅黒く、骨太で筋肉隆々だった。二人はアイリーンと室内を黒曜石のような目ですばやく検分した。彼らの顔立ちは平板で残酷そうだった。唇は薄く、酷薄な印象を与えた。
「お前の名前は?」と、書類の束を持った方が口を開いた。
彼女は声の震えを隠し、冷静沈着になろうとしながら言った。「名前はアイリーン・ロイス・ハンボルトです。デイル・ハンボルトの妻です」
そのゲルン兵は紙を見ながら言った。「夫はどこにいる?」
「X線室です。でも――」
「お前たちは不適格者だ。外に出ろ。他の者と一緒に廊下を進め」
「あの――夫は……やはり……」
「出るんだ!」
他の船室でも鉄拳制裁の前兆となった口調だった。ゲルン兵はアイリーンに詰め寄った。彼女は二つのカバンを片手で掴んだ。ビリーの手を離したくなかったからだ。アイリーンは廊下に出ようとした。もう一人のゲルン兵が彼女の手からカバンの片方を取り上げて、床に投げ捨てた。
「カバンは一人、一つまでだ」
そして性急に彼女を廊下に押し出した。アイリーンとビリーは廊下によろめき出た。
彼女は羊の群れような不適格者の流れに加わり、通路を下り、荷役用エアロックに向かった。中には子供も多く混じっていた。特に、小さな子供は怯え、泣き声を上げていた。両親のうち少なくとも片方か、あるいは兄か姉が一緒にいて子供を守っている例はさほど多くないようだった。大半の子供は親族と生き別れになり、心ある他人の世話になっていた。
X線室へ行く廊下を通ったとき、アイリーンは不適格者の別の一群が駆り立てられていくのを目にした。その中にもデイルの姿はなかった。彼女は、自分と息子がデイルに会えることは二度とないと悟った。
「船から降りろ! 早く! さっさとしろ!」
ゲルン兵が鞭打つように厳しく命令した。アイリーンは他の不適格者と押し合いへし合いながらタラップを下り、岩だらけの地表に降り立った。経験したことのない強烈な重力が身体を襲った。不適格者たちが降り立ったのは荒涼とした不毛の谷間だった。冷たい風がアルカリ性の土埃を巻き上げ、苦みのある雲を作っていた。谷の周囲はごつごつした丘陵地帯になっており、丘の頂上はみな強風で吹き付けられた雪で白くなっていた。日が沈みつつあり、空は暗かった。
「船から離れろ! 早く! 早くだ!」
高重力のため歩くのもつらかった。アイリーンは片手にカバンを持ち、もう片手でできる限りビリーの体重を支えた。
「やつらは嘘をついた!」と近くにいた男が叫んだ。「戻って戦おう! 俺たちは――」
ゲルン人の
ゲルン兵はすでにアイリーンの動きに目を付けていた。その手には依然としてブラスターがあった。「おいそこの! 止まるな! 船から離れろ!」
ゲルン兵はブラスターの銃身でアイリーンの側頭部を殴りつけた。「歩け! 歩かんか!」
激痛で目がくらみながらも、彼女はビリーの手をしっかり握って離さなかった。母子は速足でその場を離れた。強風が鋭いナイフのように彼女の薄着を貫き、血が頬を伝って流れ落ちた。
「あいつ、ママをぶった! 怪我をさせたんだ」とビリーが言った。そしてゲルン兵を五歳児らしからぬ下品な言葉で形容した。この穏やかな少年が初めて激しい獣性を見せた瞬間だった。
アイリーンが人の流れから一歩離れて振り向くと、全ての不適格者がすでに巡洋艦を離れ、ゲルン兵は艦内に戻っていくところだった。半マイルほど遠くに着陸していたもう一隻の巡洋艦は、すでに仕事を終え、タラップを収納しつつあった。
アイリーンがビリーの上着のボタンを締め直し、自分の顔の血を拭ったとき、遠い方の巡洋艦はエンジンを始動して轟音を上げ始めた。近い方も少し遅れて上昇を始めた。二隻の宇宙巡洋艦が立てる轟音が谷間に響き渡った。二隻はどんどん加速し、小さくなってゆき、遂には夜空に消えた。エンジンの轟音も消え去った。残ったのは吹き荒れる風と子供の泣き声だけだった。
誰かが言った。「ここはどこだ? 一体全体、やつらは俺たちをどこに連れてきたんだ?」
身体に強い重力を感じながら、岩だらけの丘陵地帯で雪崩が起こるのを眺めていたアイリーンは、ここがどこか察した。ラグナロクだ。重力は地球の一・五倍、凶暴な野獣が生息しており、その風土病である未知の熱病は人間の生存を許さない、地獄の惑星だ。その名前は北欧神話に由来していた。おおよその意味は、「神々と人間たちの黄昏」。ダンバー探検隊がこの惑星を発見し着陸した経緯を彼女は父から聞いたことがある。宇宙船を離れた八人のうち六人が命を失い、そのまま留まれば探検隊が全滅するところだったという話だ。
ゲルン人は嘘をついたのだとアイリーンは悟った。彼らは植民者たちを生きて地球に帰すつもりなどなかったのだ。この惑星に置き去りにされることは、死刑宣告と同義だった。
そして、デイルと離れ離れになってしまった自分と息子はここで助けてくれる者もなく死んでいくのだろう……
「すぐに暗くなるよ」そう言ったビリーの声は寒さで震えていた。「もしパパが暗くて僕らを見つけられなかったら、どうしよう?」
「困ったわ。助けてくれる人はいないし、どうすればいいか見当も付かない。本当にどうしましょう……」
アイリーンは都会人だった。武装した探検隊が命を失うような惑星で生き延びる術など持ち合わせているはずがなかった。彼女はゲルン人と接触する前の勇気を奮い起こそうとした。しかし夜が迫っていた。つまり、恐怖と死が母子に迫っていた。彼らがデイルと再び顔を合わせる見込みも、アシーナや地球の地面を踏む見込みもなかった。いや、それどころか生きて夜明けを迎える見込みも薄かった……
彼女は泣き出さないように努めたが、果たせなかった。ビリーの冷えた手が母親の手を握った。
「泣かないで、ママ。たぶん、怖いのはみんな同じだよ」
みんな同じ……
彼女は独りぼっちではなかった。なぜ、そう思っていたのだろう? 周りの人間はみな自分と同じように困惑し、助けを求めていた。彼女は四千人の中の典型的な一人に過ぎなかった。
「そうね、ビリー」とアイリーンは言った。「もっとしっかりしないと」
彼女は屈んで息子を抱きしめた。そして思った――泣くことや怯えることは何の役にも立たない。そんなもので明日を迎えることはできない。自分たちの命を狙って襲ってくるものがあれば、どんなに恐ろしくても戦わなければならない。自分と子供を守るために。そう、どうしても子供だけは守らないと……
「カバンを拾ってくるわ」と彼女は言った。「ここで、岩陰に隠れて待っていて。たぶんそんなに長くはかからないから」
そしてアイリーンは、幼い息子が本当に理解するには難しいであろうことを言った。
「ママはもう泣きません。何をやるべきか分かったから。お前が次の日を迎えられるように、息のある限り最後の瞬間まで全力を尽くさなくては」
(※以下、作業中)